【本/映画紹介・感想】映画化もされた作品、あなたはどちらがお好み?『ザ・ブックショップ(マイ・ブックショップ)』

個人的に感じた映画との大きな違い(両方のネタバレ注意)

これから下の部分はぜひ映画、もしくは本をご覧になってから読んでいただきたい部分です。そして、ご意見を戴きたいところでもあります。

私の読み込みが甘いかもしれません。ただ、私には下の箇所には大きな映画的な試みや解釈がなされているような気がしました。それは良くも悪くも人を引き付けるのかな、なんて思いました。

ビル・ナイ演じるブランデッシュ氏とフローレンスの関係

映画ではより踏み込んでブランデッシュ氏について描いています。

映画化されるにあたって、ここはひとつのキーだったのでしょう。原作ではブランディッシュ氏と会うのは『ロリータ』の販売是非について話したお茶会の一回だけです。それが映画だと、冒頭からフローレンスはブランディッシュ氏を目撃し、運命のようなものを感じさせます。そして、二人は積極的な交流を深めていきます。

それは、ブランデッシュ氏が、ガマート夫人を訪れる動機が異なって見えてくるようにも思います。原作では本屋店主として、またただ単に良い本を売ろうとしている店主を守ろうという動機でガマート夫人を訪れたのではないかと思います。ラブロマンスではなく、この町に本を良書を届けてくれるフローレンスとその本屋を街の良心とも言えるような存在のブランデッシュ氏は守りたかったのかな、なんて。

さらに言えば、映画ではブランデッシュ氏がガマート夫人の計画に賛同したということを、将軍から聞きますが、そのことをフローレンスは全く信用しません。一方、原作では必ずしもそういう情景はないと思います。

クリスティーンの親しみにくさとフローレンスとの邂逅

原作でも映画でもとっつきにくいのが、本屋でアルバイトすることになるクリスティーン。おませで、言葉を選ばず、時としてクリスティーンに複雑な感情を抱かせる。それでもフローレンスは彼女のことを気に掛けます。若き日の自分を投影していたんでしょうか。それとも優秀な少女の未来に夢を見たのでしょうか。そんな彼女も時を経て大人になり、気にかけてくれるフローレンスに信頼にも似た感情を抱くようになります。それをリアルに描くか、ドラマチックに描くか、原作と映画では演出が異なっているのも面白いところ。

エンディングとエピローグ

ブランデッシュ氏やクリスティーンとの打ち解け度合いを深めたことによって、エンディングは少し異なるものになっています。ここはあえて書きませんが、かつて本屋だったオールドハウスとの決別のしかたは結構ドラマチックです。

マイ・ブックショップはザ・ブックショップに基づいていますが、ある意味でイザベル・コイシェ監督の解釈を踏まえた新たな作品ともいえるかもしれません。そこには彼女なりの表現と原作への敬意がみてとることができました。

ご覧の皆様はどちらの作品が好みでしょうか。

個人的には原作が好きです(冒頭にも言いましたが、原作を読むきっかけをくれた映画は今でも好きだし、監督が挑んだ解釈の試みには好感を持っています)。

映画でも原作でも、必ずしもフローレンスが挑戦した環境は恵まていなかったかもしれません。でも、それが人生。彼女なりの方法で挑戦して、その結果が本や映画の結末だったのです。それ以上でも、それ以下でもない。それを美化できない中で、私たちは生きねばならない、それが人生じゃないかなと思っています。だから、フローレンスに降りかかる出来事の美化がなく、フローレンスが自身で納得しなければいけない、原作の描写が好きでした。

さらに、個人的には本屋を単に美しいものとせず、それを必要ないと断ずる人がいる描写に考えさせられるものがありました。

本屋に限らず、様々な場所がそうだと思います。博物館や美術館、映画館だってそうでしょう。もしかしたらカフェやレストランですら。あれば人生を豊かにしてくれるかもしれないし、教養だってくれるかもしれない。でも、その施設をすべての人が必ずしも求めているわけではないという事実は受け入れるべきなのかなと思いました。

A town that lacks a bookshop isn’t always a town that wants one.

(本屋がない街は必ずしも本屋を必要としていない。)

A town without a bookshop is no town at all.
(本屋がない街は街たりえない)

映画『The Bookshop』のタグに使われた相反する言葉かもしれないし、あの街に放った痛烈な皮肉なのかもしれない。

個人的には本屋が好きだし、できるだけ応援したいと思っていますが、それは単に個人的な趣味からくるものなんです。それはほかの方の趣味同様、単にその場所が私にとってはいつまでもあってほしいものだったから。だから、あまり声高に押し付けることはいやだなと思っています。まぁ、今回の映画のような終わり方は寂しく、それを避けるべく微力ながら応援しているわけです。ただ、この街はこの街のリーダーの元、フローレンスという人物も本屋もいらないと決断しました。もし、その時自分が住民として住んでいたなら、自分はもしかしたら、その街をフローレンス同様、去ったのかもしれません。少なくとも当時よりは移動の自由は確保されていますからね。

ともすれば、人が何かを積極的に否定するとき、そこに付随する何かもいなくなるのかもしれませんね。本作で言えば、私は登場人物でないので違いますが、本を納入していた業者、その人が街によっていた際に買っていたであろう食料や飲み物の消費、さらには本に限らず、フローレンスが仕入れた煌びやかな雑貨類等。この街の住民はそれらと当分会うことはできない。アートセンターはできるかもしれないけど、この街の住民たちは使いこなせるんでしょうか。

結論としては、何かに頑張っている人がいるのなら、その対象物が必ずしも共感できるものでないにせよ、否定につながることはしたくないものだと思いました。少なくともそれはその人と、その人とその行為を理解する人たちにとっては大切なものでしょうから。私の感想はこんな感じでした。

もし、たまたまこの記事をご覧になった方で、しょうがない、コメントしてやるかと思ってくださった方、本当にウェルカムです。

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