【本紹介・感想】人類のお供パンはいかに愛され、ここまで普及したか『パンの歴史(「食」の図書館)』

内容

パンの起源と思われるものが人間によって食べられるようになった頃から、現在に至るまでのパンに纏わる歴史や逸話を、様々な文献や専門家の助言を通じて、まとめている意欲的な一冊。 参考文献や確認を求めたした専門家たちは多岐にわたり、考古学、実験考古学、文化人類学、美術、文学、民俗学、哲学、料理研究家、ビール醸造の専門家等と、実に幅広い。

この本を読むことによって、パンをうまく焼けるようにはならないけど、世界に広がる様々なパンを知ることができるし、それらがどのように浸透しているかについて理解することができる。

そして、そのことを理解をすることによって、さらにパンに対する愛は深まるだろうし、美味しく食べることができるようになる。もしかしたら、パン作りのヒントにすら出会うことができるかもしれない。この本はそんな一冊。

パンの歴史 (「食」の図書館)
ウィリアム ルーベル
原書房
2013-08-26


内容を振り返りながら感想

パンってそもそも何?

パンやブレッドの呼称がつくものは多くあります。また、クレープやトルティーヤ、さらにはエチオピアで食べられるインジェラは膨らみはしませんが、パンに通ずるものがあります。さらにクスクスはどうでしょう?硬質小麦の一種デュラム小麦を丸めたものです。さすがにこれはパンとは言えないかもしれません。ただ、この本が異なる文化圏の人に読まれた場合、間違った認識からスタートするのは危険だと本書の著者のウィリアムは思ったのでしょう。

そこで取り出したのは世界的に権威ある地所として認められているオックスフォード英語大辞典(OED)です。

ごく一般的な食品で、穀粒や小麦粉に水分を加え、こねて焼いたもの。通常、イーストや天然酵母を添加する。

オックスフォード英語大辞典「パン」の解説

この定義によると、“こねていない”上述の食べ物は「パン」の定義から外れてしまいます。辞書の言う「パン」は一般的なローフブレッド(食パンやフランスパン等の切り分けて食べるパン)に近しいものなんだろうと、ウィリアムは気づかされます。

ウィリアム自身はこの狭義の「パン」にこだわる気はありませんでしたが、とりあえず、この本でも基本的にはこの定義に則って説明していくことにします。

パンの源流を辿って

Conical loaves of bread, Gebelein, 5th Dynasty c 2400 BC.jpg
By Ian AlexanderOwn work, CC BY-SA 4.0, Link

パンが誰の発明によるものなのかはわかっていませんが、古くからその存在は知られていたとしてウィリアムはパンの歴史を語り始めます。

パンは遠く22,500年から23,500年前、イスラエル北東部ガラリヤ湖にあるオハロー2の後期旧石器時代の遺跡で、石臼で大麦と小麦のものと思われるでんぷんの痕跡が確認され、焼け焦げた一式も発見されているそう。パンらしきものがこの当時からあったといっていいのでしょう。そして、この地域では現代使われている小麦と大麦の祖先である穀物が自生していたことが確認されています。

きちんとパンとして認識されるものが確認されるのは14,600-11,600年前となり、平焼きパンがこの時代に確認されるようになります。

そして、パンの製法が確立すると人間のコミュニティは拡大し、そのコミュニティを維持するためにも、狩猟していた人たちは耕作するために定住するようになります。その結果、身分制度と所有の概念が促進したといいます。

この点について、西洋の専門家たちの間では評価が分かれていることをウィリアムは記しています。文明化が進んだとする一方、奴隷制を含む身分制度や富の偏りについては否定的な評価があります(page 24)。また、キリスト教社会では理想郷エデンは採取だけで生活できるため、自ら耕してパン作りに勤しむ行為は、つらい労働であり、閥の味がしたという。この辺の認識は私にとっては非常に新鮮で、少なくとも日本人の宗教観からは伺い知ることができないものだと思えました。

そんな、耕作を通じたパン作りは、人類が後に世界最古の都市を形成するのに一役を担います(Page 26)。

パン製法の確立とパンによる支配

Ramses III bakery.jpg
Public Domain, Link

時代は下り、紀元前2400~2300年頃のエジプトになると、パン作りにいそしむ人の石像が作られていました。さらに紀元前2000年になると組織的に製粉する人たちの像まで作られています。当時は小麦の品種改良もなされておらず、ふすまと胚芽を粉砕しないように臼で穀粒を挽くのは大変だったようですが、職業として成立していたことが確認できるとのこと。パン職人がこんなにも早い時代にできているのは驚きでした。またこのころすでにビール醸造の廃棄物となる
澱(おり)をいつの頃かもらいはじめ、現在のいわゆる”サワードウ(自然発酵)”の製法を確立しているとのこと。

支配者はこれらの原料となる小麦の生産に力を入れると同時に、それらを育てるのに必要となる水についても、中央灌漑システムを整備する。そして労働者の労働の対価としてパンが給金の一部として支払われた記録があると示しています。

この頃、上述の通り、壁画や石像で当時のパン作りを知ることはできますが、具体的なパン作りに関するレシピが残っているのは古代ギリシアに入ってからとのこと。

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