内容
本書は、西洋化が急激に進む明治時代にあって、東洋の伝統美術の優れた点を指摘し、日本美術の保護・再興に取り組んだ美術史家(美術評論家)岡倉覚三(天心)によるもの。岡倉はフェノロサに師事したのち、国内の芸術振興に貢献するも、一部の人々の不興を買い、アメリカに活動の拠点に移した。本書はそんな岡倉が西洋人向けに東洋、中でも日本の精神性がいかにお茶と密接につながりがあるかについて講演を行い、そこで話したものがベースとなって書籍化されたもの。
岡倉はこの本の中で西洋による東洋および東洋文化に対する理解が必ずしも正当なものではないと問題提起し、東西の文化的差異がどのような原因から発生しているかを説明し、どちらかか一方が劣っているということがないということを主張する。
特に日本の独特の文化への説明に際して、茶と茶道を用いた。そして、西洋建築とは思想が異なる茶室とそこで使われる花や茶器について触れ、茶の名人がどのような価値観に基づき、茶会を主催し、文化芸術に寄り添いながら生きているかについて述べている。
そして、茶の精神を理解すれば、東・西の人々が、お互い謙虚に学びあうことのできるにではないかと主張している。
自らの使命が、日本人の視点から日本や東洋の文化について西洋へと伝えることだと考えた岡倉天心の代表作。
The Book of Tea (English Edition)Kakuzo, OkakuraOpen Road Media2020-04-21
(アマゾンのリンク画像を参考イメージとしてつけていますが、今回私が読んだのDover Publishingからでたブライラー版です(アマゾンでは商品への直接リンクがみつかりませんでした)。ただ、”The book of tea”で検索すると無料版のテキストサイトがいくつかでてきます。例えばこちら(リンク)無料版なので編集のされ方で少し読みづらい面があるかもしれませんが、テキスト的には十分だと思われます。wiki内部にも原書および訳書があります。青空文庫にも村上博氏による日本語翻訳バージョンがあります(リンク)。もちろん、各出版社からも渾身のものがでているので興味ある方は検索してみてください。個人的に、PIE International の村井博氏の訳に大川裕弘さんの写真が付されたものには迫力を感じました。
内容をまとめがなら、時に感想
ブライラー版「茶の本」のわかりやすさ
わたしが読んだのはアメリカのDover Publicationsが2010年に同社がかつて発行した1964年版を復刊したものでした。この本には冒頭と巻末にエヴリット・ブライラー(Everett Franklin BLEILER)の解説がついています。エヴリット・ブライラーは小説家で、Dover Publications版「The Book of Tea」の発行責任者を務めました。この解説がとてもわかりやすく、後に続く本文の理解をスムーズにしてくれていました。また、あとがきでは初版におけるいくつかの問題点についても指摘していて、その指摘はいまの日本にも言えることなので興味深いものでした。
折角なのでこれらについて少し紹介したいと思います。
岡倉覚三の来歴について
冒頭、ブライラーは3つにわけて岡倉覚三とその周辺知識について解説しています。まずは著者岡倉覚三について。覚三は元福井藩士で当時、横浜で貿易商を営んでいた岡倉勘右衛門のもとに生まれます。勘右衛門の教育方針のもと覚三は幼少のころから英語を学びます。そして東京開成所に入学。当時講師をしていたフェノロサの助手を務めるようになり、フェノロサの美術品収集も手伝うことに。そこで覚三は日本美術の美しさに感銘を受けると同時にその置かれている境遇に危機感を覚えます。以降、フェノロサとともに日本美術の再評価に努め、日本における美術評論や美術アカデミズムの礎を築くこととなります。後に東京美術学校の幹事まで務めますが、西洋美術がすう勢の日本で居場所を失い、拠点をアメリカに移したことについても記されています。そして西洋の文化に触れ、さらに日本人に対する理解が新渡戸稲造の『武士道』によるものが太宗を占めることに危惧を覚え、いくつかの著作を書き上げたと解説しています。
岡倉覚三は一体どんな人だったのか?
二つ目は岡倉の性格について。まずは学者として。この本を読めばわかる通りとしたうえで、著者が理路整然としていて、抜きんでた学術的才能をもっていると指摘しています。ただ、岡倉の性格は難ありだったのではとも。岡倉は物怖じをせず、自身に対して批判的なことをいう人物がいれば、積極的に議論を仕掛けたため、敵対する人物を多く作ったと記しています。一方で、優しさあふれる走り書きが残っていたり、子猫に関する愛情についての手紙が残ってい側面も紹介。また、岡倉の書いた詩やおとぎ話についても触れつつ、そんな彼がいかにセンチメンタルな側面を持っていたかについても披露。そしてこの複雑な性格が彼の各著作によく反映されて語っています。
“The book of tea (茶の本)”ができた背景と一体どんな本なのか?
そして最後に”The book of tea”について。この本は岡倉が一人で書き上げたもので非常によく日本人の特徴をとらえていると指摘したうえで、岡倉が西洋文化に触れる中で受けた影響について説明しています。当時、ヨーロッパを中心に極東の文化について宝石に例えて紹介するもの、人生についてたばこを用いて紹介するものが多くありました。それらについて岡倉はいくつか目にしたはずで、さらに1903年に出版された”Arthur Gray’s Little Tea Book”からも影響を受けているのではないかと主張。そのうえで、日本人の美や文化に関して、茶を用いて説明するのは非常に良かったと。ブライラーは特に茶会における儀礼は古来からの伝統を重んじ、その形式にもこだわることから、西洋の教会での儀式にも通ずるところがあるものの、宗教ではなくあくまで作法であることに注目。また、その空間で行われる作法、配慮や価値観ついて、西洋では宗教施設内にとどまっているのに対して、広く一般に通じていることは特徴的でないかと指摘しています(芸術鑑賞についても同様)。
一方で初版の難点を指摘しています。ブライラーは”The book of tea”初版について、多くは印刷所のミスと思われるとしつつも、タイポが多いと指摘しています。また、いくつかは岡倉自身の勘違い等からくる名前の間違いもあるとも。そのうえで、中国の思想や思想家について一部日本語読みになったまま上梓したことによって当時の西洋人の研究者の間での評価が芳しくなかった点は残念だったと主張し、いくつかの指摘しなくとも問題ないであろう点について注記を省いた形式で修正を施したとコメントしています。もちろん、読者の疑問を想起させかねない箇所については注釈を付したり、そのままにしたものもあるとも付け加えています。
日本で中国の歴史を学んだ私にとっては微妙な改編ですが、こちらが標準なんですよね。漢字の日本語読みは理解を促すのに便利ですが、海外の人と話すのに非常に不利に働くのも事実です。もしかしたらこの辺はターニングポイントに来ているのかも、なんてことすら思う今日この頃です。まぁ、それは本筋とは関係ありませんが。。。
次にいよいよ本書を振り返っていきたいと思います(少し長いのでページを改めます)。