【本紹介・感想】ただ単に居心地の良いリラックスできる空間ではない『サードプレイス』の概念

サードプレイスイメージ

内容

 スターバックスが標榜することで広く知られるようになった『サードプレイス』という概念。その概念の提唱者であるレイ・オルデンバーグはこの本で、家(ファーストプレイス)と職場(セカンドプレイス)に次いで、人々にとって欠くことのできない第三の場所があるとして、『サードプレイス』について紹介しています。

 序章で、オルデンバーグはアメリカにおいて大戦以後郊外に住宅を得るようになり、物質的な豊かさを得たが、それと引き換えにかつての街にあった、人々が気軽に集まることのできる場所、サードプレイスが急速になくなっていっていると主張しています。その結果、過去人々が当然のように得ていた資産を得られなくなり、窮屈で孤立した人生を送ることになっていると、警鐘をならしています。

 その後の章では、サードプレイスが具体的にどのような特徴があるのか説明(まとめは下記参照)し、それらから得られていたメリット、それらがなくなったことによって何が生じたかについて具体例を交えながら説明し、そのうえで各国、特に欧州におけるサードプレイスの代表格、フランスやウィーンのカフェ、ロンドンのコーヒーショップやパブ等の歴史や役割について説明し、そのうえでアメリカにかつてあったビールガーデン、タヴァーン(居酒屋)やそれに類する場所の輝かしい役割について取り上げています。

 そして、それらの場所が、アメリカでなぜ大戦後になくなっていったかについても触れつつ、それらの重要性を再認識すべきではないかと提言しています。

 スターバックスをはじめとする飲食店をはじめとして、インディペンデントな本屋、そして今やランドリーまでもが、自らを『サードプレイス』と標榜する時代。

 今一度提唱者が大事にしていた『サードプレイス』が何だったのかについて本書を通して触れてみるのも面白いのではないでしょうか。

感想や考えたことをつらつら

 『サードプレイス』という言葉は冒頭に書いたとおり、非常に有名な言葉となりましたが、私自身は、この本を読むまで、家と職場の間にあるリラックスできる場所程度にしか思っていませんでした。ところが、本書を読むと事情は違い、もう少し条件があることがわかります。

サードプレイスのわかりやすい概念

サードプレイスの特徴については以下のとおり、第一章の最後にその特徴を列挙するようにまとめられています。

サードプレイスは中立の領域に存在し、訪れる客たちの差別をなくして社会的平等の状態に役目を果たす。こうした場所の中では、会話が主な活動であるとともに、人柄や個性を披露し理解するための重要な手段となる。サードプレイスはあって当たり前のものと思われていて、その大半は目立たない。人はそれぞれ社会の公式な機関で多大な時間を費やさなければならないので、サードプレイスは通常、就業時間外にも営業している。サードプレイスの個性は、とりわけ常連客によって決まり、遊び心に満ちた雰囲気を特徴とする。ほかの領域で人々が大真面目に関わっているのとは対照的だ。家とは根本的に違うたぐいの環境とはいえ、サードプレイスは、精神的な心地よさと支えを与えている点が、良い家庭に酷似している。

レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』みすず書房,2013,p.97


また、日本の文化研究家でもあるマイケル・モランスキー氏も補足するように巻末の解説文でまとめていますので、こちらも取り上げたいと思います。以下、引用です。

とりたてて行く必要はないが、常連客にとって非常に居心地がよく、それゆえに行きたくなるような場所。会員制になっておらず、予約するような場所でもない。いつでもひとりでふらっと立ち寄って、店主やほかの常連客に歓迎される。そして帰りたいと思ったら、いつでも帰ればよい。その意味で家庭とも職場とも著しく違う。ただし、家庭とは異なるものの、「アットホーム」な気持ちでいられることがサードプレイスの大きな魅力である。

レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』みすず書房,2013,p.468

 これらの条件に加えて、本書では繰り返し、地元の客がいること。さらには、空間内では男女が釣り合っていて入り乱れないこと(p.409)や、世代間の排除がないこと (若者や子供だからと言ってそれだけで排除されないこと) ことについてもオルデンバーグは主張しています。

 つまり、オルデンバーグの主張する『サードプレイス』は、家と職場に次ぐ、単なるリラックスできる居心地の良い場所ではなく、その地においてしっかりとした、そして居心地の良いコミュニティが形成されていることも重要なファクターだったんです。

 ちなみに、マイケル・モランスキー氏は上に書いたサードプレイスに光を当てることの意義には同意しつつも、本書 (第2版) が90年に書かれているにもかかわらず、女性に対する偏見や第二次大戦前の中西部の街の在り方を称賛する点については疑問符を呈しています。個人的にはオルデンバーグは男女各々にサードプレイスが必要であるとしているので、単純な性差的な指摘にはなっていないと思えます(ただ、最近の性別に対する考え方の多様化・変化に本書が追いつけていないのは事実だと思います)。

 加えて、90年代にITの普及と共に働き方や価値観も急速に変わっていったので、そこを指摘するのは少しかわいそうな部分もあるかなとも思います。とにかく、私たちは現代の環境をふまえつつ、本書を読めばいいのかなと思います。

本を読んで思ったこと、あれこれ

 私たちは確かに簡単に集まって身近な知り合いたちと気楽に会話を楽しめる場所を失う傾向にあるのかもしれません。

都心では、昔から人の集まる場所としての役割を担っていた町内会の施設や昔ながらの食堂や喫茶店の閉鎖を聞きますし、一部の地方では過疎化が進み、それどころではない場所もあります。それらはかつて、社交の場でもあり、世代間の架け橋を担っていて、情報交換の場でした。なくなって訪れる場所の喪失を感じて、はじめてそれらを失ってしまって本当によかったんだろうかと考えさせられます。

もちろん、これらのカウンターとして自身がそういう担い手になろうという人たちも現れました。失われたコミュニティを取り戻すべく、銭湯やコインランドリーが自らを再定義して、『サードプレイス』を宣言している姿はまさにその流れだと思います。そういうことも踏まえつつ、私としては今一度どういうコミュニティや空間があれば暮らしやすいか考えて、そのコミュニティにどのように参加・貢献できるのか、少しずつできるところから行動していければな、なんておもったりするにいたった、そういう本でした。

スターバックスは果たしてサードプレイスなのか?

さて、話はすこしそれますが、タイトルのとおり。スターバックスは本書でいうところのいわゆるサードプレイスなのか、についてです。

スターバックスは非常にうまい具合に本書であげられているコンセプトのいくつかを取り入れています(オルデンバーグは列挙した条件のすべてが必須とはいっていません)。くつろげる椅子を配置し、店内の居心地はとてもよいです。

店内で店員は、一見の客にも常連客にも、声をかけ、タンブラーにメッセージを描くこともしばしば。また、店舗によってはテイスティングやハンドドリップの講座も行っていて会話も繰り広げられているように見えます。お客さんはそんなスターバックスに居心地のよさを感じます。

一方で、サードプレイスが特定の場所を指しているのであれば、特定の店舗を見なければいけません。スターバックスの店舗において常連客が場をある程度共有して会話や議論が活発に交わされている・・・というのはすくないかもしれません。また、特定の常連客がそこにいるから、他の客が訪れにくるということもあまり多くなさそう。

なぜなら、利用客はスターバックスにロイヤリティを示しても、特定の店舗にそれを示すことは少ないからだと思います(もちろん、店舗において常連さんがいるのは理解していますが、それは本来のサードプレイスのものと比較すると、緩やかなものだと思います)。

また、スターバックスの店員は企業の従業員であるがゆえに人事異動もあります。お店を差配する人が変わっていくという現象はサードプレイスとは本質的に違うような気がします。特にサードプレイスのコミュニティというものが人を中心に形成されるとすればなおさらです。

ではスターバックスはサードプレイスではないと、断言できるでしょうか?個人的にはそこまでは言い切れないと思います。なら何なのか?

スターバックスはなりうる可能性を持ったスペースではないでしょうか。結局は、わたしたち地域住民がスターバックスに対して真に『サードプレイス』の姿を望めば、その形にカスタマイズしていきそうな気がします(そして、店舗によってはすでにその機能を提供しているものもあるかもしれません。ただし、都心ではそこまでに至っている店舗はない気がします。)。

もちろん、スターバックスはアメリカの証券市場に上場している企業ですから、その経済活動が許す範囲内ではありますが。。。そういう意味では本書では批判的だった昨今の資本主義社会との折り合いをうまくつけているサードプレイスのひとつの好例ではないかとおもいます。

ただし、サードプレイスを標榜するにはあまりに薄氷のうえに立っている気がします。願わくは、今後その氷が厚みを増すといいなと思うばかりです。

ということで、今後もコーヒーショップの巨人スターバックスの進化とその利用者からは目が離せません。

雑な閑話休題

サードプレイスへの浸食とフォースプレイスの議論

昨今の働き方の多様化に伴って、ファースト・セカンド・サードプレイスの明確な線引きが難しくなってきました。働き方の多様化で家で仕事を行う人も出てきたし、SOHOを活用する人も登場しています。それらの需要を取り込むべく、一部のカフェは利用者の利便性向上のためフリーWi-Fiを導入しました。

その結果、かつてサードプレイスであったカフェは、Wi-Fiを使って娯楽や情報を入手しながらくつろぐ人にはファーストプレイス化し、仕事をする人にとってはセカンドプレイス化しつつあります。その結果オルデンバーグの提唱したような線引きは一部の人たちになくなりつつあります。

この流れをまとめたのがArnault MorissonによるA Typology of Places in the Knowledge Economy: Towards the Fourth Place
:10.2139/ssrn.3056754. です。モリソン氏によれば、知識経済の中で上に上げたような現象は起こっており、その内包された部分に新たなフォースプレイスが誕生すると指摘しています。この発表の中に使われている図がとてもわかりやすいので紹介したいと思います。



Arnault Morisson (2017), A Typology of Places in the Knowledge Economy: Towards the Fourth Place. In: Calabrò F., Della Spina L., Bevilacqua C. (eds). New Metropolitan Perspectives. ISHT 2018. Smart Innovation, Systems and Technologies, vol 100  , P.6

以前は線引きがされていた各場所(左の図)が各々に侵食、もしくは統合しあっているのが現代(右の図)です。

個人的には、本書を踏まえても、個人は多様なコミュニティがあったほうが強いのではないかと思います。そしてコミュニティを形作るのが上の三つだとしたら、それらを過度に統合していく昨今の流れは危ういものなのではないかと考えてしまいます。

各々のメリットとデメリットはいまでてきている最中です。今後もこの流れに沿うのか、それともある地点で立ち止まるのか、この点についても興味深くかんじます。

次の一冊

和訳された本書は新書・古書ともに非常に高いものです。そのため、英語ができるなら英訳版を手に取るのもありかなと思ったりします。日本語版もそうですが、原書も簡易な語句が使われていて相当読みやすいです。また、日本語版を読まれた方も、原書で読むと新たな発見があるかもしれません。

レイ・オルデンバーグのCelebrating the third placeは上でご紹介した議論をさらに発展させたもの。2000年代に入り、オルデンバーグも関与して書き上げられたこの本では『サードプレイス』の特徴をよりつぶさに観察して、どういったものをより克明に描いています。

また、本書の解説を書かれているマイク・モランスキー氏が書かれた『日本の居酒屋文化 赤提灯の魅力を探る (光文社新書)』も面白そう(恥ずかしながら、私も現時点で読んでないので今後読みたいと思っている本です。)

さらに、モランスキー氏が解説で触れられているメリー・ホワイト女史が書いた『コーヒーと日本人の文化誌(創元社)』は日本の喫茶店やコーヒー文化を海外からの視点で描いていて非常に新鮮です。サードプレイスとサードウェーブの関係性においても様々な視点を与えてくれます。

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