【本紹介・感想】世界をよくするために自分にできることとは・・『うしろめたさの人類学 松村圭一郎』

うしろめたさの人類学 装丁

内容

日本に生まれ、大学生まで海外を知らなかった著者がエチオピアをフィールドワークの対象に選び、そして日本とエチオピアを幾度となく往復する中で感じた違和感。

例えば、日本にいれば物乞いや精神を病んでしまった人は私たちの日常生活から隔離されていく。それが私たちのいきる「ふつう」。一方、エチオピアでは物乞いも精神異常者も排除されずにともに生きるのが「ふつう」。その結果、人々の行動に大きな差が生まれてしまったのではないだろうか。

エチオピアのシステムが優れているといっているわけではない。エチオピアのシステムには多くの生きにくさが内在している。日本にああなれというわけでもない。それでもそこには多くの学ぶべきことがあるのではないだろうかと筆者は指摘する。

筆者は私たちがすでに受け入れてしまった「ふつう」の生活に疑問を呈し、そして、絶え間なく進化する「ふつう」の世界の可能性について、構築主義をベースとした「構築人類学」を用いて、読者にやさしく、そして辛抱強く語りかける。

筆者が言う理想は、必ずしも無理難題ではなく、人々が少しずつ意識することで実現可能な世界。だからこそ、この本を読んでほんの少しこの本に書いてあることを実践できたとしたなら、もう少し過ごしやすい世界ができるのかもしれない、そういう希望が持てる一冊。

うしろめたさの人類学

うしろめたさの人類学松村圭一郎ミシマ社2017-09-16

内容をまとめながら、感想

突きつけられる現実の光景

Photo by Kaique Rocha from Pexels

冒頭、大阪のおっちゃんの話から本書は始まりました。普段多くの人から変わった(まぁ、正確にはおかしい)風に映るおっちゃんがお店にやってきて外人に対して片言で話しかけて、それに平然と対応した外国人。日本人にとっては異質な光景でしたが、当人たちは平然と日常に戻っていく。。。このエピソードからこの話は始まりました。もちろん、このエピソードは少し批判や皮肉が込められています。不寛容な日本人と寛容な外国人という対比という感じ。

・・・正直、少しだけ構えてしまいました(笑)。

おっと、この本は不寛容な世の中がおかしいとただただ糾弾する本なのかな?と。

でも、必ずしもそこがメインではないことが徐々にわかります。だから、少し主義主張が異なる人も読み進めてほしいと思います。それでも少し抵抗を感じるのなら、【終章】だけでも読んでください。ここで筆者は理想主義に生きるのではなく、現実の私たちには何ができるのかをきちんと述べています。そして、少しでも同意できるところがあったら、ほかの多くの章にも看過できないいろんな発見があると思います。

では、本の中身を少しだけ振り返っていきたいと思います。

筆者がエチオピアと日本の往復して感じた違和感

Image by Hervé Clootens from Pixabay

筆者は大学生になって以来、フィールドワークの対象としてエチオピアを訪問し続けています。しかも、現地を訪れた際にはアパートを借り上げるだけでは飽き足らず、コーヒー農園でチェリーピッカーとして働くような人たちの家で過ごしたりもしています(現地の様子を抜粋した旅行記としても十分に面白い本だと思います)。

そこで、筆者は様々なことを目にします。

例えば、目抜き通りにあるおしゃれなお店の前で老婆が物乞いをしているところ。現地のエチオピアの若者は少し困りつつも、当然のことのように小銭を渡していく。そして老婆もやはり当然のように小銭を受け取って、良い日になるように、と若者に対して返す。それを筆者は少しきまり悪く目撃してしまう。

ほかにも、現地の子供たちがマニーと叫びながら近寄ってきたするのに、それにどう対応していい瓦かないでいるのに、バックパッカーは懐からパンを取り出し、それを渡していったりと。

さらに違うところでは少し精神的に病んでいた人が街中を普通に闊歩しているところに出くわします。彼は英語で外国人である筆者に語りかけるものの、何を言っているのか不明。そのうち周りの人が声をかけてその人を連れて行ってしまった。いつものことらしい。でも、後日再び彼に会うと普通の人に戻ったという。

こういう出来事がエチオピアではあっちこっちで起こる。

筆者も指摘している通り、いずれも日本であれば見られない光景です。日本ではホームレスの方々は必ずしも物乞いはしていません。少なくとも直接的な働きかけを行う人は珍しいと思います。それでも、そういう人たちは世間からは隔離されます。また、精神的に病んだひとたちも日常生活から少し離れ、専門の施設へ行くこととなります。

そういった社会習慣の違いを繰り返し経験することによって、筆者はますます慣れていた日本社会に違和感を覚えたといいます。

やがて、その違和感の原因を筆者は考えるようになります。この本ではその違和感が何なのか、そしてその違和感をなくすことができれば、より暮らしやすいことになるんではないかと探っていくこととなります。

共感する力

日本とエチオピアでは何が違うのでしょう。筆者曰く、それは「共感」する力だといいます。

上述したような出来事は日本ではほとんど発生しませんし、いろんなことがスムーズに行われる日本は住みやすいように見えるかもしれません。ただ、それは「経済」という大きなシステムの上に成り立っているからです。

「経済」システムの下、提供されるサービスに対価を支払い、その対価のもとシステマティックに取引が進みます。サービスと対価の関係で物事が成り立っていくと、感情がだんだんと抜け落ちていきます。ファストフードの店員さんに求める見合った対価はファストフードであり、それ以上でもそれ以下でもありません。高級なお店で食事をするときだって基本的には対価に見合ったサービスしか提供されないはずです。そこには感情がはさむ余地はなく、ましてや共「共感」する必要はないのです。

こういう「経済」システムが構築している私たちの「ふつう」に慣れてしまったために、物乞いに対する施しや精神を病んでしまった人たちを受け入れることに対するハードルが上がってしまっていると筆者は指摘しています。

なぜなら、物乞いに施し(「贈与」)した場合も、精神を病んでしまった人を受け入れた場合も、相手から得られる対価が期待できないからです。

一方、筆者がエチオピアで暮らしてみて感じたのは多くのコミュニティがすべてを受け入れていることでした。上でも書いたように、精神を病んだ人も物乞いの人もコミュニティから排除されないとのこと。

例えば、エチオピアの外貨獲得手段であるコーヒーについて。彼らにとってコーヒーを飲むのはやっぱり貴重な機会だという。それでも、コーヒーを飲む際には隣人を招くそう(言葉は出てきませんが、もしかしたら簡単なコーヒー・セレモニーなのかも)。そして、コミュニケーションをとり、ひとつのつながりを確認するのだそう。つまり、他者だった人は身内へと変換されていきます。そして、このことは「共感」力を磨くことにも寄与します。

こういう日常が日本とエチオピアでの社会の差になっているんではないかと指摘しています。そして、日本が「ふつう」に行っている排除がじつは豊かな世界を狭めているんではないかと筆者はいいます。

もしそうであるならば、この「ふつう」に行われているやり取りを、絶え間なく意識的にずらしていけば、変化は訪れるのだという。そして、そのきっかけとして有用なのが「うしろめたさ」と筆者は指摘しています。

電車の中で、立っているのがつらそうな老人を前にしたら、座り続けるのは居心地が悪いでしょう。その際に生じる「うしろめたさ」。この自覚に敏感になることによってみんなに過ごしやすい世界になっていくのではないかとしています。

筆者はこの主張について、エチオピアとエリトリアの複雑な社会に触れつつ、社会や経済の中でどうやって応用できるか、またアメリカ国内の理論に基づく「贈与」だけではうまくやっていけないことについても終わりのほうで触れながら、新たな社会の構築についての可能性について触れています。

その辺はぜひ本を手に取って読んでみてください。

全体を通して

Image by Alexas_Fotos from Pixabay

帯の推薦文を改めて読むと少しアグレッシブな雰囲気で書かれていますよね。確かに真実なのですが、何となく手に取りにくくないですか(笑)?。。。

筆者が言いたかったのはもう少し簡単なことなんじゃないかなとも思います。相手のことを考える共感力をもち、そして、普段常識と思っていることから少しだけ踏み込んで何かをしてみませんか。その際に意志的に用いるのに「うしろめたさ」を使うこと。そして、それを当然のことのようにできるようになったら、さらにそれを常態化、そしてもう一歩前進させてみませんか、ということ。

具体的には、今まで他人事だと思って目をつむっていたことを自分事のように考え、そして少しだけ人々の寛容になって感情も経済的なものも分けてみてはどうだろう、とか。

そして、それを大きな枠でとらえれば、すでに構築されていると思われる経済的・社会的な枠組みから抜け出し、新しい世界を構築できるというもの。

日本にいるとついつい視野が国内、もしくはアジア圏に視野が行きがちですが、幅広い視野を持つことによって忘れがちなことが見えてくるのかな、なんて思うと今一度幅広い視野を持っていろんなことをみていかないといけないなと自戒の念にかられる一冊となりました。

本の概要

  • タイトル:うしろめたさの人類学
  • 著者:松村圭一郎
  • 発行:ミシマ社
  • 印刷・製本:(株)シナノ
  • 組版:(有)エヴリ・シンク
  • 初版:2017年10月5日(2018年3月4日初版第6刷)
  • ISBN978-4-906908-98-4 C0095
  • 備考:第72回毎日出版文化賞特別賞

関連サイト

松村圭一郎さんの研究室HPでは直近の著作物まで掲載されていますのでご覧なってみるのもいいかも。そのほか、twitterの紹介欄にも書かれていますが、「みんなのミシマガジン」で「小さき者たちの生活誌」を連載されています。ミシマ社のHPにはほかにも松村さんが寄稿された文章が掲載されているので気になる方はHPの検索を使ってみてください。

次の一冊

この本を読んでいるとどうしても読みたくなるのがマルセル・モースの『贈与論』だと思います。本書では森山工著の岩波文庫版からの引用がなされていますが、他にちくま学芸文庫からもでています。ページ数も相当で読み応えがある本ですが、近年翻訳されていることもあり、頭に入りやすい文体になっています。この本についてより理解を深めようと思ったら読んでみるのもいいのかなと思います。

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

贈与論 他二篇 (岩波文庫)マルセル・モース岩波書店2014-07-17

当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。お返しは今のところ何もできませんが、ここにSNSアカウント等を記載した半署名記事をイメージしています。要は人の手によるアマゾンリコメンド機能みたいなものです。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。

雑な閑話休題(雑感)

この本を購入したのは武蔵小杉にあるブックカフェ『COYAMA』です。購入した当時(2020年1月頃)、上の写真のような帯だけがみえるシークレット本の展覧会をされていました。

そのイベント時に購入したのがこの本とあと一冊。正直にいうと、このような企画がなければこの本とは出会うことがなかったかもしれません(いや、どうだろう、エチオピアのことが書かれていたから、もしかしたらコーヒーの文脈でであえるのかな・・。まぁ、出会ったとしてもだいぶあとになっていたでしょう)。

出身の学部で学んだこととも仕事とも少しかけ離れた内容のものだからです。仕事では基本的に経済性や合理性が求められますから、そういうこととは少し対極にあることを説こうとしている本書。

仮に本屋に多くの本と一緒に並んでいて背表紙しか見ることができなかったら、たぶん手に取らなかったでしょう。タイトルもなく、帯だけをじっくり読むことができたから、本を購入して読むに至ったんだと思います。

イベントやフェアって、だから面白いんですよね。あっ、そうそうCOYAMAさんについてもいつか自分なりの紹介記事を書きたいと思いつつも、何となくかけずにいます。お店は本が好きで、そして本屋が好きな人なら、自然と笑みがこぼれるようなお店です。本のラインナップ、提供される飲み物やフード類、どれも、あぁ、いいなと思うものばかり。、、、だからこそきちんと紹介したいなと思いつつ、1年がたつきがします。。。

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