【本紹介・感想】男性が直視しなければならない現実が書かれた『説教したがる男たち』

内容

本書は2008年から2014年に著者であるレベッカ・ソルニットさんが執筆した既存の7つのエッセイに2つの書下ろし作品を加えたものです。

最初に掲載されているのが本書のタイトルにもなっている「説教したがる男たち」。この作品はアメリカにおけるフェミニスト運動でも象徴的な作品となっていて、この男たちのことを”マンスプレイニング(mansplaining)”と新たに呼ぶ、言葉までできました(ただし、著者自身はこの言葉をあまり好きでないと否そのほかにも定的)。そして、この言葉は2010年ニューヨークタイムズが選ぶ“その年を象徴する言葉”にも選ばれました。

次のエッセイでは女性に対する家庭内暴力、暴行、レイプ等が一向に減らないことについて数字を交えて考察を行い、すべての女性に対して奮起を促しています。

その他にも当時のニュースなどを用いながら、社会がどうあるべきか、また女性として男性として、どのようなことが問題として考えなければならず、そしてこれら問題に対してどのように向き合っていけば良いかについてレベッカなりの考察がなされています。

本書はフェミニズムをあずかり知らぬ運動と捉えず、隣人が受けている被害のように深刻にとらえ、そして何か自分なりに動くことを促すきっかけとなる一冊だと思います。

説教したがる男たち

説教したがる男たちレベッカ ソルニット左右社2018-09-07

内容を振り返りながら、感想

いくつかの章についてまとめながら振り返りたいと思います。

説教したがる男たち

筆者も本の中で触れていますが、本書はユーモアあふれる文章から始まります。とあるパーティー会場でレベッカ・ソルニットがいる前でレベッカの本が話題となりました。当人はどうやら話している相手がレベッカであることを知らないようで、その本の良いところ、ダメなところを上げていったといいます。その状況を見かねたレベッカの友人が3回ほどレベッカ本人がそこにいると指摘したものの意に解さず、4回目にようやく理解してくれたとのこと。

レベッカに言わせれば、こういうことについては枚挙に暇がないという。レベッカは身の回りに理知的で、かつ尊敬のできる男性もいると断りを入れたうえで、多くの男性が著者に対して専門分野でもないことについてとうとうと語る傾向にあるということです。

それは多くの男性が根拠もなく、特定の分野について女性よりも知識があると信じて語ってくるというもの。一方の女性は反論しても男性が持論を続けてしまうので沈黙するしかないという。

これは何もレベッカのみのことではありません。多くの女性がこういう現象を経験しています。レベッカの場合は各分野における本も出しているため、反論できるし、反論する場もある。だが多くの女性はそうではないのです。その結果、男性はこれに乗じて力による支配を行うようになり、彼女たちの権利は侵害されてしまいます。

言いすぎでしょうか。説教したがる男性はそれだけにとどまるのでしょうか。彼女はそんなことはないと主張します。こういう一つ一つの事象をばらばらにとらえてしまうと大きな空気や流れが読めなくなると。

そして、女性たちの声なき声は無視され、また声を発したとしても信頼に足らないと判断されてしまうことになってしまいかねない。そして、そのことは男性の暴力行為や家庭内暴力、またレイプなどを助長させることになるともいっています。つまり、女性は男性に対して沈黙したり、問題を放置してはしていけないと主張します。

だからこそ、今日も彼女を含めた多くの活動家は声をあげているんです。問題を放置しないように、そして女性が二度とかつてのように抑圧されないように。

長すぎる戦い

この章では男性による家庭内暴力やレイプがいかに多く、そして女性にとって致命的であるか、について取り上げています。エッセイを書いていた2008年当時のアメリカでは記録に残っているものだけでも、6.2分間に1回レイプがおき、記録外のものを推計すると1分間に1回起きているんではないかとレベッカは指摘しています。

実際、性犯罪被害者を支援する団体RAINN(Rape, Abuse & Incest National Network)でも似たような推計値を公表しているので決して筆者のバイアスではないことがわかります。

そして、象徴的事件として2012年にインドのニューデリーで発生したレイプ事件を取り上げます。この事件は、デートの帰りにバスに乗車した若者がそのまま連れ去られ、乗客複数人によって暴行を受けたというものです。特に女性が受けた暴行はひどく、その後病院に連れていかれたにもかかわらず、死亡しています。

この事件はあまりに無残でメディアにも取り上げられ、その結果SNSで多くの人が問題視しました。そして、女性を中心に、市民権や人権に関する問題として社会運動へと発展しました。ただし、多くのレイプ事件は過去から今日まで事件化されないでいると指摘しています。

著者自身も大学時代に身の危険を感じながら通学していた経験を語っています。当時の大学は女性にとって危険な場所であって、大学はその状況下で女性は夜間の外出をしないよう促したり、日中も単独行動しないように注意したといいます。根本的な問題はそこではないにも関わらず、かつては男性ではなく、女性を抑圧することで問題を解決しようとしていたのです。

これらの経験を次代に引き継がないためにも継続的に声をあげなければならないと著者は主張しています。

豪奢なスィートルームで衝突する世界

IMFのホームページより

この章ではIMF専務理事でフランスの次期大統領とも目されたストロス・カーン氏のIMF職員との不適切交際問題を取り上げ、圧倒的な強者と搾取される弱者の関係として説明しています。また、第二次戦後のブレトンウッズ体制の代表的な機関としてのIMFがもたらした南北問題も結局は強者である西洋諸国と弱者である多くの途上国を生み出し、つまるところ同じ構造的な問題ではないかとも指摘しています。そして、これらの倫理がまかり通る社会では弱者である女性に対する待遇が改善されないのも道理であると。

そして、ホテルの清掃員、彼女は移民で社会的弱者だったわけだが、その彼女がかつてはIMFの専務理事でもあったカーン氏から受けた暴行にについて民事訴訟で買ったことを称賛しています。それは、つまり、弱者の強者に対する勝利だから。一方で、彼女が和解金について口を閉ざしてしまったことによって、強者に対する社会運動が下火になり、振出しに戻ってしまったことについて残念がっています。

個人と社会運動の問題はありながらも、筆者としては引き続きこのような活動が活発になることを期待してます。

グランドマザー・スパイダー

アナ・テレサ・フェルナンデスの講演@TED、アナの作品は本書の中でも紹介されています

この章でレベッカは歴史的に、そしてイギリスの法制度のもとで女性の地位がどういうものだったかについて説明しています。例えば、中世から現在まで家系図が続いている家庭であったとしても、度々女性のルーツをさかのぼるのは難しいといいます。いくつか世代をたどってもいつの間にか消えてしまうから。そして、1765年ブラックストーンの法律解説によれば、女性の法律上の存在は結婚によって、結婚が継続する限り保留されるか、夫に組み込まれるという。そして、対外的な契約行為ができなくなったという。信じられない話ですが、事実なんです。

こういう価値観に基づいた社会形成によつて男性は多くの権利を女性から取り上げていたのです。もちろん、現在のイギリスにはこのような法律は存在しません。だからといって、すべての価値観が変わってはいないのです。そのため、私たちはこういう歴史的な背景を確認しつつ、問題点を指摘し、改善を主張することによって現状を変えていかねばならないとしています。

このほかにも様々なニュースを取り上げながら、女性の事件や市民権が守られるよう声を上げなければいけないことを主張しています。いずれの論点も興味深いものなので自身の意見を整理しつつ、著者の意見とどう違うか、分析してみてはいかがでしょうか。きっと双方の意見に厚みをもたらせるんじゃないかと思います。

全体を通して

エッセイ全体にキャッチ―な数字を用いた説明がなされていて説得力のあるものでした。これを読んだら、多くの男性が暴力的でないと主張する人ですら、女性がいかに不平等を強いられてきたかがわかるはずです(数字は絶対的なものが多いので、他の暴力事件の数と比較した相対的なものがあればもっとよかったのかもしれませんが、これはエッセイですので直線的な数字でいいんだと思います)。

また、本書はエッセイ形式をとっていますが、多くの先駆者の引用や紹介が行われています。そのため読了後、すぐに次のテーマへとつなげることができます。それは彼女が幅広い分野をカバーし、またフェミニズムの分野においてもきちんと取材したうえで本書を書き上げたからに他なりません。

ただ、本書内で少しだけ気になったことがいくつかあります。その中からひとつだけ。著者は先にも述べましたが、本書では数字を交えながら読者を説得しています。

それと同時にいくつかの象徴的な事件について紹介しています。どの事件も女性の権利を踏みにじったひどいものです。犯人は裁かれるべきだと思いますし、男性全員が、本書内で語られる数値とともに、隣で今起こっていることなんだと、しっかり認識する必要があると思います。一方で、犯罪と犯人とされた人物を結びつけるのは慎重になるべきではないかなと考えます。

本書内で取り上げられているIMFの元専務理事であるストロス・カーン氏の職員に対する不適切な交際に関して、裁判は無罪となっています。もちろん、その過程で明らかにされたストロス・カーン氏の交際はこれがなくとも、眉を顰めるものですし、その後もメディアで報じられた交友についても問題視されても仕方ないかなと思われます。ただ、それでも大きな流れの中で一緒くたにするのはどうなんでしょう。こういう論理展開については肩入れできませんでした。

こういう論理の展開は他にもみられるので読む際はよくよく注意して読んでほしいとも思います。ただ、著者が指摘する女性の権利がないがしろにされている中、私は関係ないと、主張している男性はやはり当事者でしかないと思います。この本は間違いなく、そのことを気づかせてくれる本です。

また、その他の論点について多くを支持したいし、すべきであろうと思っていますが、だからこそこういうエッセイは慎重に論を展開するべきなのかなとも思いました。

いずれにせよ学ぶことが多かった一冊でした。

本の概要

  • タイトル:説教をしたがる男たち
  • 原題:Men explain things to me
  • 著者:レベッカ ソルニット(Rebecca Solnit)
  • 訳者:ハーン小路恭子(しょうじきょうこ)
  • 発行:株式会社左右社
  • 印刷:創栄図書印刷株式会社
  • 装幀:松田行正+杉本聖士
  • 第1刷 :2018年9月10日
  • ISBN978-4-06-86528-208-5 C0036
  • 備考:May 2014 (Haymarket Books)

タイトルの翻訳がうまいですよね!説明を説教と言い換えるあたり。内容と照らし合わせても、しっくりくるし、インパクトがありました。まぁ、実際には説明したがり屋さんがでてくるわけですけど、日本では説教じいさん的もしくは口やかましいおじさんとうまい具合にリンクしている気がします。

関係サイト

オフィシャルサイトには著者のエッセイが、またYoutube上ではたくさんの講演の様子がアップされています。リリースされた本に関することや上述の本のことに関するものが多いわけですが、中には著名人との対談などもありますので著者の名前で検索してみてください。

次の一冊

この分野はもう少し勉強してから自分なりの『次の一冊』を紹介したいと思います。そのため、今回は保留させてください。

当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。お返しは今のところ何もできませんが、ここにSNSアカウント等を記載した半署名記事をイメージしています。要は人の手によるアマゾンリコメンド機能みたいなものです。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。

雑な閑話休題(雑感)

このタイミングで買ったんではなかったんですよね。。確か最近の風潮を捉えた棚にありました

本の装幀をみてすぐにどこで買ったか思い出せる本もあれば、ブックカバーやしおりで思い出す本もあります。

この本はブックカバーでした。冒頭に掲載しているブックカバーは六本木にある『文喫』のものです。以前にももしかしたらこのブックカバーが映っているものがあったかもしれません。そして、その際は特段触れていないはずですが、今回は記憶に残っていたのでその経緯についておさいの少し触れてみたいと思います。

文喫へは積み残しの仕事があった週末に、気晴らしを兼ねて訪れることがあります。そしてその際の気分転換として本棚を眺めることが楽しみなんです。この本は本棚で数回見かけました。上の写真はそのうちの一回です。私がこの本を購入したのはフェミニスト運動に興味があったからでもなければ、同氏のメンズプレイニングという言葉をきっかけとしたものでもありませんでした。

mansplainer: A man compelled to explain or give an opinion about everything — especially to a woman. He speaks, often condescendingly, even if he doesn’t know what he’s talking about or even if it’s none of his business. Old term: a boor.

The New York Times’ Words of the Year, 2010 (ニューヨークタイムズでその年の言葉を受賞したのは正確には説明する男性をさすマンズプレイナー)

当時、この本は、現代的な本を集めた棚にあったんだと記憶しています。ネットをやめられない人間とか、、、〇〇とか。タイトルはキャッチ―なものばかり。

その中でもこの本のタイトルは異彩を放っていました。ただ、その時は他の本を購入するか何かで保留したんです。その後も書店員さんが本書がある棚を変えたり、本書の隣接する本を入れ替えたりして変化を作ってくれた結果、いつの間にか本を取り、冒頭の文章を読み始めていました。読み始めると思いのほか興味深く買ったという流れです。

こういう本との出会いがあるのが本屋さんのいいところですよね。そして常に棚を生き生きさせる書店員さんに感謝の日々です。

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