【本紹介・感想】翻訳家の悲喜こもごもな日常『翻訳地獄へようこそ』

翻訳地獄 装幀

内容

本書は翻訳であり、エッセイストでもある宮脇孝雄さんがALCが発行する雑誌、『ALCOM WORLD』と『マガジンアルク』で連載されていた「英語翻訳ミヤワキ研究室」に掲載された文章を加筆・修正したものです。

全体で約40のエッセイからなり、翻訳をするにあたってどのようなことに気を付けるといいかについて、書かれています。その際、筆者が経験した失敗談や、実際に刊行されている本で散見される誤訳が、どのような背景でできてしまっているかを語ったり、では、そのようなミスを防止するのにどのような予防策が考えられるか等について持論を述べています。

紹介されるのは間違いの文章だけではありません。ほかの訳者の優れた訳や自身の試訳についても述べています。

言うまでもないことですが、もちろん、筆者は誤訳の揚げ足取りをしたいわけではなく、その根本原因をさぐりつつ、どうすれば回避できるかのを探っています。また、そういう骨を折る作業を経て推敲作業を経てできた翻訳本を作り上げることの楽しさを説いています。

そして、本書の中で翻訳の例題と出される文章は単に難しい語彙を使っているとか、文法構造が何回というものではありません。いずれの例題も比較的簡単なものを用いて、また、難しそうな語彙については事前に解説してから読者に試訳を促しています。だから、クイズを解くような感じで本を読み進めると、なお、本書を楽しめることができると思います。

また、一つ一つのエッセイには翻訳の参考となる国内外の本も一緒に紹介されているので、翻訳に関する本でありながら、本紹介の本でもあります。

頭の体操をしつつ、翻訳沼がどんなものか楽しみながら読んでみてはいかがでしょうか。

翻訳地獄へようこそ

翻訳地獄へようこそ宮脇 孝雄アルク2018-06-22

感想

面白いつかみ

複数言語

この本、つかみからして、秀逸でした。まず、はじめに、の章でこんな英語の文章を紹介されます。

She was cool and fresh in the hot night

宮脇孝雄著『翻訳地獄へようこそ』P.11より。原文はErnest Hemingway『In Our Time(われらの時代に)』

どの単語も中学時代に習うものと確認しつつ、この文章をどう訳すのが正しいのかについて話していきます。すると様々なことがわかってくるのです。

著者の宮脇さんはここで読者が思いつくであろう代表的な二つの訳が紹介します。

A)暑い晩には、感じの涼しい、すがすがしい彼女であった

B)暑い夜の彼女は一服の清涼剤だった。

A)は一見、原文の単語を汲んでいる感じ、一方のB)は雰囲気を大事にしつつ、こなれた感があります。宮脇さんはB)の表現、とくに「清涼剤」についてあまりに陳腐ではないかと指摘するんです。

はい、こなれたとかいった自分をなかったことにしたいと思いました(笑)。。

さて、宮脇さんがいわんとしていることはこの訳(「清涼剤」)が、必ずしもヘミングウェイの文章の雰囲気を伝えることに成功していないということです。ここで翻訳者は単なる翻訳以上のセンスが求められることがわかります。。

そのうえで、A)に関する問題も指摘しています。きちんと直訳しているようでも、A)は文中のcoolという単語を「他人に与える印象」もしくは「性格」と訳者の解釈が入っていると指摘します。

そして、本文の文脈から言えばもっと異なる訳し方があるのではないかと指摘しつつ、新潮文庫版の高見浩さんによる翻訳「暑い夜気の中で、彼女の肌はひんやり清々しかった」という文章を紹介します。

もちろん、前後の文脈も知らず、上の文章だけで、この文章を作り出すことは不可能でしょうから、ずるいという人もいるでしょう(笑)。でも、これだけでもいかに翻訳という行為が難しいかがわかると思います。

そして、以降ずーっと宮脇さんが翻訳という行為をするのにあたって、どのくらい気を付けているのかを目の当たりにすることになります。

誤訳の背景はそれぞれ

日本語の単語もそうですが、単語は複数の意味を持つことがあります。そして、それは当然英語でもそうなのです。

その例として、本書ではまずbarという単語が紹介されています。居酒屋として、カウンターとして、そして延べ棒や法曹界として使われるbar。あまりに文意に則さないと辞書を調べるでしょうが、違和感があったとしても、何となく意味が通っちゃうときもありますよね。そういう誤訳はたびたび発生するとしています。

その他にも、慣用句の意味の取り違え、わかったような気がするカタカナ英語でのずぼらな訳、原作が描く時代や文化的背景に対する理解の欠如、英国英語か米国英語かの違い、等々誤訳にまつわるエピソードが次々とでてきます。。

本当、原文に仕掛けられたトラップは数知れないのです。

そんな誤訳を避けるべく、本の中では日本人の現地滞在日記、アメリカの校閲者による本、イギリスの文化人類学者の本などを紹介しています。それらを読み、すでに発生した間違いを頭に入れることによって、自分の前にその単語や慣用句を使った文章を誤訳することを防ぐことができるとしています。

それらは手元に置き、ことあるごとに立ち返ることに効果を発揮するようです。ただ、さすがに紹介されている本の多くが結構骨がありそうです。

そんな時、それらの雰囲気を知ることができるのはブログやyoutubeチャンネル、そして海外ドラマかもしれません。特にyoutubeチャンネルでは英語スピーカーが色んな角度からミストランスレーションやミスコミュニケーションのエピソードを紹介していますから。

一つだけそんなチャンネルを。

このチャンネルでは英語スピーカーの方々が表示された絵を見て、それが自国で何と呼ばれているかについて話し合っています。話が通じることもあれば、通じないことも。同じ英語といっても中身は日本の方言と同じくらいは多様なんだと理解できます。

このほかにも、アクセント、文法、等についても語っています。もちろん、このチャンネル以外にも似たようなことを話しているチャンネルはたくさんありますので気になった方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

少し脱線しました。

その後も本書の中では翻訳のコツというものも紹介されまています。直訳せずや注釈せずとも、原作にある古典からの引用要素をしれっといれたり(私だとアピールしたくなりそう)、特定の職業に就く人の言い回しや方言をどのように訳すか等々。知らなくとも、もしかしたら翻訳はできるかもしれないけど、知っているとより誠意のある翻訳ができるようになるものばかりでした。

本の概要

  • タイトル:翻訳地獄へようこそ
  • 著者:宮脇孝雄
  • 発行:株式会社アルク
  • 印刷・製本:萩原印刷株式会社
  • DTP:朝日メディアインターナショナル
  • 第1刷 :2018年6月20日(第2刷)2018年9月20日
  • ISBN978-4-7574-3074-7
  • 備考:

宮脇さんはSNSをされていないようなので、リンク等は掲載していません。ただし、アルク(English Journal Online)のサイトには宮脇さんのエッセイなども少しだけ掲載されているので気になる方はこちらをチェックしてから購入しても良いかと思います。少しだけ本書の雰囲気が味わえると思います。

次の一冊

この本では、多くの国内外の本が紹介されています。その中でも最近、かつ話題性の面から面白そうで、私も知っているを”Between You and Me”を紹介したいと思います。著者Mary Norrisさんは英語のお作法にうるさい雑誌『ニューヨーカー』の校閲を長年にわたって支えてきた人物です。この本ではそのキャリア人生を振り返りながら、英語の文章の校閲の考え方や手順、そして校閲そのものについて、時にユーモアを交えながら、時に自虐めいたふうに語っています。

読みごたえはありますが、おすすめの一冊です。

Between You & Me: Confessions of a Comma Queen

Between You & Me: Confessions of a Comma QueenNorris, MaryW W Norton & Co Inc2016-04-04

当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。お返しは今のところ何もできませんが、ここにSNSアカウント等を記載した半署名記事をイメージしています。要は人の手によるアマゾンリコメンド機能みたいなものです。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。

雑な閑話休題(雑感)

alcが展開する英辞郎は本当に優秀です。

今日ご紹介した本の出版元、アルクでしたね。日本で英語をネットで使ったりすると絶対に出くわすのがアルクとweblioだと思います。彼らが提供しているのが辞書機能です。日本語版googleで英単語を検索すると絶対表示されますよね。

そして、その2社の中でも以前はalcが抜きんでていたと思うのですが、ある時から一部を除いて有料会員向けにかじを切ってからは検索時に表示されるシェアを落としたのかなと思ったりします。

ただ、アルクの豊富な例文と専門用語にも対応できる対応力には、そのお金を払っても後悔しないだけのコンテンツ力があると思います(実際、わたしも色んな例文が読みたくて、コンテンツの有料化後、しばらくして少し謎の敗北感とともに有料会員になっちゃいました。。。)。

まぁ、何が言いたいかといえば、アルクに限らず、翻訳界隈の魅力的な本やコンテンツについてしっかりアンテナを張っていきたいということです。そして、おもしろそうなものがあれば再びここで紹介したいと思っています。皆さんも何かおすすめのものがありましたら、ぜひ私に教えてください(それが小さなブログを運営している良いところだと思っているので)。

本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

翻訳地獄 装幀
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