世界規模の傷心旅行(?)へ
日本では失恋したら北国へというイメージがありますが(これって今も有効なんでしょうか?)、レスの場合は違います。先にも書いた通り、目の前の現実から一目散に逃げるために世界一周旅行に出ます(笑)。
訪れた国は、メキシコ、イタリア、ドイツ、モロッコ、インド、そして日本。おっと、トランジットで訪れ、そのまま一夜を滞在したフランスも忘れられてはいけません。
フランスのシャルルドゴール空港で、レスがタックスリファンドを探す光景や搭乗時のオーバーブッキングのアナウンス風景など、どれもリアリティあふれていてその気分を大いに盛り上げてくれました。全体として移動時はどたばたしたもので、その部分は特にコメディタッチになっています。そういうところをかいつまむと完全に旅行あるあるに、異文化あるあるを加えたコメディになっていて楽しめました。
もちろんこの描写力はパリやドイツの街にでても、砂漠でも、インドの岬にある宿泊施設でも、どこに行っても衰えませんでした。旅行記として本当に楽しめる本だと思います。
このような一連の仕事とプライベートを組めることからもわかるとおり、レスの人生は間違いなく祝福されているのです。単なる傷心旅行が世界一周旅行になってしまうのですから。その内容がいくら屈辱的(embarrassingやhumilitate的な意味で)であって、時に滑稽であったとしても。そして、エージェントから言われたように、レスはこの一連の旅で多くのことを学び、糧としていきます。後半、特にモロッコ、インド、日本での一連の交流は間違いなくレスの新たな明るい人生を予感させるに十分なものでした。
愛にあふれた人生
世界旅行をしている中で出会う人々が本当に多様でした。旅行者、現地の人、コーディネーター、そしてかつての恋人、本当に様々です。その一人一人がきちんと描かれています。ステレオタイプな人、もしくは型にはまった行動をとる人ががこの本には見られません。まぁ、言語的に英語ができない地域の人とのコミュニケーションのむずかしさはどうしようもないし、それは実際に起こることなのでしょうがないと思います。加えて、古典的なお笑いもところどころにはありますが、それもその人ならではの交流の仕方なのかなと思えるものばかりでした。
その人たちとの会話を通してレスは今更ながらに「愛とは何か?」、そして「年をとるとは?」ということについて会話をします。結果、自分だけが特別ではないことを知ります。誰もが愛について悩み、そして年を取ることと向き合っているんです。
レスはついつい自分の特殊性だけを考え、それを悲観していました。
著名な詩人ロバート・ブラウンバーンの寵愛を受ける何者でもない青年だったかつての自分。何も恐れずに不誠実で、許されるだろうと道端の誘惑にも果敢に答えてきた。それが小説を書き、年を重ねた。そしていつしか愛を与える側にも回った。でも、ようやくであったかけがえのないフレディも去っていった。どうだろう、自分自身をみて残っているものはあるのだろうか。
ただ、原因はいつも自分にありました。居心地の良い状態に安住し、現実から目を背けていたのです。また、変化することにも臆病になった。そんな彼を叱咤したくて人々は去ってったんです。
それらを指摘してくれたのは旧友であり、新しく出会った人たちでした。それに気づいたとき、色んな事をわきに置いて旅に出るのって案外いいのかもしれないな、と思ったりもしました。
過去の思い出とこれからを生きる
作中、レスは過去をよく思い出します。中でもかつて恋に落ちたり、近しい人たちとの再開の前、もしくは最中には、必ず彼らにまつわる何らかエピソードが頭を駆け巡ります。
良いものも、悪いものもあります。かつて悪い思い出として記憶にとどめていたものは、実際に会うとなんてことはない、お互いに昇華させていたりします。だけど、会ったとによってまた嫌いだった部分を思い出したり。その逆もしかり。今まで出会うのを避けていた人と会ってみると、その人の良いところばかりが思い出されたりと。どれもノスタルジックで甘美な雰囲気がありました。
レスは老いについて一部受け入れているところがありました。老いから得られる美化される思い出を楽しみ、もう頑張らなくてもよいといった安心感にみたされることです。
ただ、レスはそういう甘美な記憶に埋没するには若すぎます。そして、そのことについて人々と会う中で自覚していきます。
本作の最後の方に交わされるロバートとの会話に時間旅行の話題が出てきます。ロバート曰く、タイムマシーンは開発した時よりも前に戻ることはできず、その開発時点と後にもう一つ作ったもう一つのものを相互に行き来する程度だと解説しているテレビをみてがっかりしたというんです。
そして、人間も会った時からしかその人のことを認識できない。レスはもう大きい。だから、今後会う人はかつての若くてやんちゃなレスを知ることはない。そしてきちんと向き合ってくれる。間違いなくこの旅で初めてレスと会った人たちはそういう扱いをしていました。彼を立派で尊敬できる作家として扱ったのです。だからこそ、老いなんて気にしないで、前を向けとアドバイスをくれるのです。まだまだ50じゃないか、若造め、みたいな。このシーンはなかなかに感動的でした。もちろん、こんな会話の中にもどうしようもない会話がはさんで、それがなんとも哀愁や悲哀を感じさせるのですが。
まぁ、とにかく、レスの人生は改めて考えるとバラエティに富んだものでした。そして、今なお人々に愛され、応援されています。たぶん、誰もがそうなんだと思います。色んな人と出会い、そして前をむき生きることで再び愛されることもあるんじゃないかと思えました。
というふうに、全体を通して人生に悲観することなく、色んな事に真摯にもう一度向き合うのも悪くないんじゃないかと思わせてくれる作品でした。
そして、ちょっとした文学の奥行き
レスのデビュー作『Kalipso(カリプソ)』は第二次世界大戦中、南太平洋の島に流れ着いた兵士を現地民が助け、恋に落ちるものの、兵士の妻が待つ故郷への帰る手助けをするというもの。
これはホメロスの『オデュッセイア』に登場する”キャリプソー”にまつわるエピソードをレスなりに解釈したものと解説があります。
一方、レスがエージェントに提出した『Swift』はサンフランシスコを右往左往する中年男に関するの物語だそう。こちらは『ユリシーズ』のダブリンを舞台に詳細な街を記述をしつつ物語を展開しているところに着想を得ています。
この二つの物語は非常に象徴的です。というのもこの二作品はアーサー・レスの物語そのものであり、それは小説『LESS(レス)』そのものと言えなくもないからです。そういう構造的なことも考えるとワクワクしてしまいます。
ほかにもレスがプルーストの小説を読むのを楽しみにしていたことなど、古典作品を使いつつ、物語の奥行きを演出して、かつレスがどういう人物かをより詳しく教えてくれています。
実際、下にリンクを貼った著者に対するインタビューでは本作の特徴的な構成となっている三人称による語り口のヒントのためにナボコフやヴァン・ダイク、フィリップ・ロスなどを読み込んだといっています。
間違いなくそういう著者の造詣が本作により豊かな彩を与えていると思います。文学を知っていない人が読んでも面白いですが、文学を知って読むと、なお面白い小説なんじゃないかなと思います。
本の概要
- タイトル:LESS
- 著者:Andrew Sean Greer(アンドリュー・ショーン・グリア)
- 発行:Original:Lee Boudreaux Books , PB: BACK BAY BOOKS
- カバーアート:Leo ESPINOSA
- 第1刷(オリジナル) :July 18th 2017
- ISBN:9780316465182
- 備考:Pulitzer Prize for Fiction (2018), Lambda Literary Award Nominee for Gay Fiction (2018), Andrew Carnegie Medal Nominee for Fiction (2018) ,Australian Book Industry Award International Book of the Year(2019)
- 翻訳版:早川書房から『レス』2019年08月20日発行済み
- 訳者:上岡 伸雄
関係サイト
- オフィシャルサイト:https://andrewgreer.com/
- twitter account:agreer
アンドリューは本作に関するインタビューを多数受けていて、今でもそのうちいくつかはYoutubeで視聴できます。個人的にお勧めなのは、彼がかつて務めていた書店でのイベントです。司会者からその当時の様々なエピソードが披露されるとともに、インタビューの際には本の様々なシーンに関する突っ込んだやり取りがなされています。
特にゲイとして歳を取る最初の世代としてどう考えているのか等についての話は聞き入ってしまいました。また、筆者の文学に対する造詣の深さも垣間見れて、なるほど、この作品の作者だと納得もしてしまいます。
あともう一つのおすすめがピュリッツァー賞の選考委員を務めたNancy Pearlさんがインタビュアーをしているもの。こちらも面白いです。ちなみにNancyさんとのtwitterでのやりとり(感謝を述べるとともに、いったいなんでこんなコメディ作品に賞を与える決定をしたんだい?というもの)については上のインタビューで披露されています。
あっ、あと蛇足になりますが、作中に登場する詩人のロバート・ブラウンバーンがピュリッツァー賞受賞者であるのには、思わず笑ってしまいました。作者もそのことについて色んなところでインタビューで聞かれていますので、そんなところにも注目してみてください。
次の一冊
グリアさんの作品でいくつか有名なものがあります。例えばマドンナが映画化の権利を買った『The Impossible Lives Of Greta Wells』はいかがでしょう。
The Impossible Lives of Greta Wells (English Edition)Greer, Andrew SeanFaber & Faber2013-08-01
2013年にリリースされたすぐ後にマドンナはこの小説の内容をとても気に入り買い上げたとされています(ただし実際に映像化はされていません)。ちなみの本の内容は、とある女性がかつて生きた他人の壮絶な人生を追体験する中で、自分の人生とは一体何だったかを考えるものです。コメディテイストではありませんが、本作同様に人を物語の中に引き込む作品でした。
The Confessions of Max Tivoli: A Novel (English Edition)Greer, Andrew SeanFarrar, Straus and Giroux2007-04-01
もう一作、それは彼の紹介文では必ず書かれている『The Confessions of Max Tivoli』です。これはF・スコット・フィッツジェラルドの『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』と似たような設定となっています。体と精神の乖離の中でもがく人生が鮮烈に描かれた作品です。彼はこの作品で2005年のNew York Public Library Young Lions Fiction Awardを受賞しました。いわゆる出世作といっても間違いないと思います。
残念ながら2020年11月の時点ではいずれも翻訳はされていないようです。今後アンドリューの作品が翻訳されるかはわかりませんが、頭の片隅にこんな作品があったなととどめておいていただけるといいかな、なんて思ったりします。
当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に推薦したい本を募集しています。ご推薦いただいた本は私が少なくとも読ませていただきますし、多くはないかもしれませんが、読者さんの目に留まるかもしれません。ということで手作り感あふれるサイトのサポートをよろしくお願いします。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。
雑な閑話休題(雑感)
本の中でレスは日本を訪れます。その際、「渡月橋」を訪れるのですが、これを”Togetsu Bridge”等といわずに、”Moon Crossing Bridge”と呼んでいました。サイトを確認すると両方とも使われていたので、地域の認識の仕方としてはありなんでしょう。でも、日本人の私が読んだときは一瞬はてなと思ってしまいました。少し考えてそれが「渡月橋」を意味することに気づきました。
作中では「”Meet at Moon Crossing River”なんて謎めいてスパイや密会の雰囲気があって素敵じゃないか」みたいなのりで書かれているのですが、なるほど、本当にそうだなと思いました。
もちろん、”渡月橋”という漢字やその成り立ちを考えれば、自然とロマンを感じます。個人的に漢字から受ける印象は、おぼろ月の夜に桂川にかかる長い木造の橋。奥にはかすかに山が見え、川下からは川のせせらぎが聞こえるという感じです
一方、”Moon Crossing Bridge”となると私が受ける印象はだいぶ違います。比較的深い河の上に石畳の橋が架かっていて、橋長は長くないものの、霧がかったイメージを思い浮かべます。月は半月か満月でしょうか。何となくミステリアスな感じです。
と同時に、こういうイメージの刷新もあるんだなと思いました。海外文学を読むとしばしば身近にあるものの、新しい側面が見られるからいいですよね。そんなことを改めて秋の夜長に感じた今日この頃でした。
今日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
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