【本紹介・感想】母国と言語のずれの中で生きるとは・・・『「国語」から旅立って』

「国語」からたびたって装幀

温さんの色んな先生たちとの出会い

温さんは私たち同様、何人もの先生に師事をあおぎ、人格形成に大きな影響を受けています。微笑ましいエピソードもあれば、心がざわめくようなエピソードもありました。いずれも私には示唆に富む話に見えました。

小学校低学年の時のK先生は空中黒板を使いこなし、温さんの読み間違いにも、肯定交じりの指摘をするとても思いやりのある方でした。中国訪問団を迎え入れることになったT先生は温さんの中国語に注目して発音の見本をお願いしました。中学三年生のころの先生は中国語で漢詩を聞かせてくれました。それは日本語では感じ取れないきれいな韻を気づかせてくれるものでした。

一方、小学5年生の先生は温さんにローマ字の授業をしました。そして、残念ながら温さんの”WEN YOUJOU”という正しい本名に対してバツをつけてしまいました。大学で中国語を教えてくれた先生は自身が思う”正しい”中国語を温さんに教えようと厳しく指導をしました。

ここに書いたのは一部ですが、その時々の温さんの感情のふり幅はすごいものがあります。感受性の高い幼少期だからこそなのかもしれません。そして、実際に心をえぐるような言葉だからこそ、そこまで落ち込むんでしょう。逆もあります。温さんの琴線に触れるような言動は大きくやる気を引き出しています。これはこのような国や言語的な話題だけでなく、色んなことに言える話でしょう。

この反応を私たち(少なくとも私)は知ったからこそ、新しくいろんな国から来られる方々に寄り添った行動をしたいと思いましたし、また迷っている人たちに寄り添うことができたらな、と思いました。

正しくても通じない漢字

漂着した中国人もしくは日本人が漢字を介してコミュニケーションをとって、それが理由で難を逃れたというエピソードを聞いたことがあります。また、旅行中に漢字を書いたら相手に通じたとか。漢字を使う人たちとはある程度理解がしやすいかもしれませんが、その実、各国で使われる漢字はだいぶ異なっていますよね。

ただ個人的には逆のことを感じます。海外に行くと漢字圏の地名を覚えなおさないといけません。また、名前もそうです。下手に日本語の音読みで分かったふうになっているとそれが足を引っ張ります。

そして、これを日本文化だから海外の人に対して受け入れるべきといわれると、それでいいのかな?と思ってしまいます。私たちが、逆に海外の漢字圏に行ったときに現地の呼び方を受け入れろといわれたら、違和感を感じると思いますし、少なくとも私は感じます(もちろん、授業や一時的なものだったら違和感なく、受け入れます)。

上に書いた温さんのローマ字読みに対するエピソードは個人的にはあまりにもひどいエピソードだなと思います。温さんが親族間でも家でも使ってきた名前で、公的なパスポートでも使われていた名前。それは少しでも想いを寄せれば先生にもわかったんじゃないかと思います。確かに先生が多くの仕事を抱え、かつ採点に忙しいのはわかります。また、昔の環境では海外から来られた生徒さんは圧倒的にマイノリティだったし、その方々に対する情報も足りていなかったのかもしれません。それでもあまりです。名前はそのまんまアイデンティティなのだから。

ただ最近はこういうことは減ってきているのかな、と思ったりもします。ニュースの特集等でみる知識ですが、そこではきちんと中国語読みで呼ばれている場面が流れていましたし、新聞や雑誌でも漢字の後にかっこで中国語読みが付されていることを多くみるようになりました。

いずれにせよ、名前くらいは母語で呼ばれる権利があるんじゃないかなと思います。もちろん、本人が違う呼び方を希望すれば、その限りではありませんが。。

ちなみに昔仏語圏に住んでいた時、テニスプレイヤーでミッシェル・チャンと呼ばれているプレイヤーがいました。簡単な置き換えなのでわかる人はわかるでしょうが、そう、錦織選手のトレーナーを務めたこともあるマイケル・チャン選手のことです。まぁ、英仏でもこういう呼称の問題はあったんですよね。最近は同様になくなりつつあるとようです。

追記:

面白いまとめがあったので追記。どのくらい話題になっているのか知りませんが、”偽中国語”という盛り上がり方は国境を気にしない新しい世代ならではなのかな、なんて思いました。何より前向きでいいかもとも。

https://togetter.com/li/1368770

確固たる信念を持った両親

温さんが今のような素敵な文筆家になったのは間違いなくご自身と家族によるところが大きいのかなと思います。

特にご両親二人で話し合った末に確固たる教育方針を決めていたのはなかなかできるものではないんじゃないでしょうか。もちろん、先例としてご近所に二つの言語の狭間で苦しみんだ結果、不登校になった子の話もあったんでしょう。それでも、日本に住んでいるからという理由で日本語教育の習得に思う存分力を入れるよう仕向けるのは親心を踏まえても、思い切った決断だなと思いました。それは何より、子供の健やかな成長を願ってのことであり、ご両親なりのこの地へのコミットメントだったのかもしれないな、と個人的には思ったりしました。

そして、その結果温さんが大学入試の小論文を迷いなく書き上げることができたことはその教育方針が間違いなかったことの証左なんでしょう。もちろん、この教育方針が唯一の正解だとは思いません。色んな教育方針があるでしょうし、正解は一つではないでしょう。でも、間違いなくいえることはご両親の教育があったからこそ、今の温さんの作品があって、その作品は少なくとも、こんな長々とした感想文を書かせるほどに影響力のあるものなんだと思います(笑)。

色んなことを思い出させてくれた本

冒頭に書いた通り、自分が帰国子女と称されていたことはだいぶ昔だったこともあり、この本は色んなことを思い出させてくれました。アメリカやイギリス、もしくは少数ではありましたが、フランス本国から帰国してきて訛りのない言葉を操る人々にあこがれ、そして二か国語を自然とスウィッチする様に嫉妬したり。。

それでもそれをばねに色んなことに挑戦したなぁ、なんてことも。当時言葉にできなかったことをこんなふうにエッセイで知ることができて、その思いは少しだけ昇華できたような気がしました。そういう意味でも個人的に特別な本となりました。

次のページではこの本の概要と、あと雑感で少しブログ主の個人的な体験について、【雑感】で書き足したいと思います。何か、私にとってこの本は色々と昔を思い出させてくれました。

「国語」からたびたって装幀
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