【本紹介・感想】母国と言語のずれの中で生きるとは・・・『「国語」から旅立って』

「国語」からたびたって装幀

本について

本の概要

  • タイトル:「国語」から旅立って
  • 著者:温 又柔
  • ネイティブチェック:黄 耀進
  • 装画・挿画:100%ORANGE 及川賢治
  • ブックデザイン:祖父江 慎+根本 匠(cozfish)
  • 発行:新曜社
  • 印刷・製本:中央精版印刷株式会社
  • 初版第1刷 :2019年5月15日
  • ISBN978-4-7885-1611-3 C0095
  • 備考: –

関係サイト

温さんの書いた「謝辞」の文章がとても好きでした(好感がもてましたって書こうとして、上から言っているようだなと思い、何となくこんな表記に。。。うーん、何が正解なんでしょう)。少し照れたような雰囲気を醸しながら、関係したすべての人たちに感謝を述べているんです。そこには直接かかわった人も間接的にかかわった人に対しても同等で精いっぱいの感謝の気持ちが込められているようでした。

もちろん、形式ばった謝辞も各位に対する謝意や敬意を感じられるのですが、温さんの書き方に何となく嬉しい気持ちになったのでこのことに触れてみました。手に取った方は最後まで読んでみてください。

次の一冊

温さんが本文中で触れた作品はいくつかあります。多和田さんの本は本屋さんでよく見かけますが、個人的にお勧めなのは李良枝さんの作品。温さんのストーリーに比べると、だいぶショッキングで悩ましい内容かもしれませんが、間違いなく新しい発見があると思います。そして、色んな問題を抱える今だからこそそういうことに目を向けてもいいのではないかなと思います。

由煕 ナビ・タリョン (講談社文芸文庫)

由煕 ナビ・タリョン (講談社文芸文庫) [文庫]

李 良枝講談社 1997-09-10


当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。お返しは今のところ何もできませんが、ここにSNSアカウント等を記載した半署名記事をイメージしています。要は人の手によるアマゾンリコメンド機能みたいなものです。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。

雑な閑話休題(雑感)

特に昨今はテレビで海外のご両親のもとに産まれてきた方々の教育機会がどういったものかというものかについて知る機会が増えた気がします(偶然ですが、2019年6月21日、この記事を書いているときに「日本語教育の推進に関する法律」 が国会承認を受けたところでした。)

今回は少し思ったことがあるので少々長いです。まぁ、自分にとっての備忘録なのかもしれません。こんなことをあったなと思っても、時を経る中で忘れがちなので、こんなことを考えていたということをせめてブログに刻んでおこうと思います。

私の台湾人との出会い

私自身のことをもう少しだけ。海外滞在中、小学校高学年の頃に住んでいた家のお隣さんが台湾人の方でした。

家同士でお土産のおすそ分けや食事の招待を行っていました。また、台湾人の方にもご子息がいて、上は高校生、下は中学生でした。そしてその中学生の方とよく遊んでもらいました。

その中学生の友人との会話で初めて覚えた単語があります。それは出身についての会話。Mainland ChinaとChinese Taipeiのことです。 それまでよく中国人と間違われていた私にとって馴染みのない言葉でした。それは彼が台湾人を意識しつつも、海外にいる台湾人として台湾にいる台湾人より一歩引いた立場で自国を語っていたからのでしょうか。当時の私に色んな話をしてくれましたが、私はそんなもんなんだと思いながら、過ごしていました。でも今考えると、そしてこの本を読むと色んな難しい立ち位置や想いがあったんだろうなと思います。

こんなエピソードは忘れていたのですが、この本が思い出させてくれました。

②「国語」という言葉について

上のところで書けばよかったのかもしれませんが、少しだけ私なりに感じたことを。今の時代、「国語」という括りはもしかしたら乱暴なのかもしれないと思うことがあります。

色んな国の人が、彼らからすれば現地校(local school)に通っているわけです。彼らはもしかしたらAmerican SchoolやLycée(独自の学校があればそれも)、他にも International Schoolという選択肢もあったかもしれないのに、あえて日本の学校を選んでくれたわけです。

その人たちにとっては国語ではなく、やっぱり「日本語」の授業なんですよね。ちなみに英語やフランス語圏の私の経験では、「国語」という授業はなかったと記憶しています。文法やスピーキング等があったかな。もちろん、これも文化といってしまえばそうなんでしょうけど。。この「国語」という言葉は聞けば聞くほどに強いインパクトを持つ言葉のような気がします。そして、それは少し押し付けのようにも感じてしまいます。何度も言いますが、私は国語という呼称を否定する気はありません。でも、海外の人が、もしその呼称に馴染めないのであれば、海外のようEnglish as second language やEnglish as other languageという呼称のようなものがあっても良いのかもしれないな、と思いました。それはそれでコンプレックスをうみそうではありますが。。うーん、本当教育の現場も多様化したんだな、と改めて思う一冊でした。

「国語」からたびたって装幀
最新情報をチェックしよう!