【本紹介・感想】私は何にも縛られなくてもよい『アイデンティティが人を殺す』

アイデンティティが人を殺す 装丁

宗教は時代を映す鏡

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上述したように、人々は双方を理解することで闘争は回避できるとしています。そのうえで一般的な人のイスラム教に対する誤解を解こうとします。

イスラム教に対して苛烈なイメージを抱くのは間違いと指摘することから第二部は始まります。かつて、イスラム教徒が治めていたイスタンブールは多宗教国家でした。もちろん、イスラム教への改宗を迫った王がいなかったわけではありません。それでも多くの異教徒を受け入れていました。

では、どうして時代で異なるイスラム教のスタンスが存在するのでしょう。それは宗教が、信者たちの自信を反映してその姿かたちを変えるものだからと、筆者は指摘しています。かつてイスラム圏に勢いのあったときは全体的に寛容だったのに、西欧諸国の勢いが増し、近代化の遅れによって劣勢になると一部に排外的な思想と結びついたといいます。

そして、これはイスラム教だけのことではなく、キリスト教にも当てはまります。今でこそ自由を尊び、他文化に寛容的に見えるキリスト教も十字軍の時代があり、異教徒の排除する魔女狩りや魔女裁判を行ってきています。最近ですら、米ソ対立の中で社会主義勢力に対して厳しい懲罰を行った多くの人たちはキリスト教徒たちなのです。

この間も聖書のテキストは一度も変わっていません。にもかかわらず、キリスト教は寛容から排除、そして再び寛容の時代へとどんどんそのスタンスが変わっていっているのです。

宗教には信仰するもの、そしてその信仰心を利用しようとするものが醸成する「時代の空気」によってその形を柔軟に変えるのです。

では、宗教を排除すれば問題は解決するのでしょうか。そうではありません。私たちは宗教を排除し、そこに変わるよりどころになろうとした社会主義や民族主義の失敗を知っています。今のところ、多くの国や地域で宗教がなくなったあとに生じる穴を埋める思想やシステムを私たちはまだ得ていないのです。

なぜ地球規模でアイデンティティを求めているのか

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宗教が形を変える不確かなものだとして、では、アラブ世界はなぜ宗教がアイデンティティのよりどころになってしまったのでしょう。

筆者は次のように指摘しています。戦後、中東地域は貧富の差に苦しめられていました。若者たちにとっては共産主義や社会主義がそれらを解消できる社会に映っていたのです。しかし、共産圏が瓦解したことによってそれらが幻想であったことを目の当たりにしてしまったのです。そして矛盾するようにも映りますが、彼ら、若者にとって西洋の物質的な豊かさはあこがれの対象でもあり続けました。その物質的な豊かさを得るために、西洋的な価値観を受け入れ、学問を治めようとしますが、そのためにはある一定の富が必要だと気付くのです。それは彼らにとって非常に厳しい現実だったのです。その結果、傾倒したのが宗教だったのです。

筆者は同時に、①共産主義の失敗、②第三世界のさまざまな社会がはまり込んだ袋小路、③西洋モデルを蝕む危機、が主な原因で宗教がメインストリームにあらわれたとするほど、ことは簡単ではないと指摘しています。(著者は前後の章で国家、民族、人種、そして階級に対する帰属はその寛容度が宗教よりも低く、うまくいかなかったと指摘しています。)

そこには劇的な発展とグローバル化があったからこそといいます。

筆者は20世紀の歴史家アーノルド・トインビーが1973年に発表した作品のテキストとして以下のことを紹介しています。

先史時代にあたる最初の段階においては、コミュニケーションは緩慢だったが、知の進歩はさらに緩慢であった。その結果、ある革新は次の革新がもたらされる以前に世界中に伝播するだけの時間があった。したがって人間社会の進化の度合いはどこでも同じ程度であり、数多くの特徴を共有していた。

第二段階においては、知の発展はその伝播よりもずっと迅速になり、その結果、人間社会はあらゆる領域でますます差異化していくことになる。数千年続くことになるその段階が、私たちが歴史と呼んでいるものに当たる。

それから、最近第三段階が始まった。これが私たちの時代である。知識の進歩はますます加速していくが、知識の伝播の速度はさらに速く、その結果、人間社会のあいだの差異がだんだんと小さくなっている・・・・。

そして、この論調をベースに次のように言い換えを行っています。

あらゆる人間社会が他との差異を強調し自他の境界線を引くために、何世紀にもわたって作り上げてきたものが、まさにそうした差異を減少させ、そうした境界線を消そうとする力にしたがうことになるだろう。

アミン・マアルーフ著『アイデンティティが人を殺す』P110より

そして、このような急激な変化が生じるとき、そもそも衝突は避けられないものだと指摘します。

周囲の世界がもたらすものが便利だから、必須だからと受け入れ、同一化したところで、自身のアイデンティティを喪失しかねないと思ったら、それに対する「反動」は起こるものです。

つまり、急激に起こる変化に対して、伝統的な価値観、シンボルに避難場所を求たら、中東の場合は宗教であったのです。ただ、この宗教への帰依は、他の民族的、人種的、社会的なくくりを超えて、地球規模でも起こっているとも指摘しています。もちろん、キリスト教や他の宗教にも同様なことが起こっています。

そして、この傾向は「反動」以上のものがあると指摘しています。つまり、これはアイデンティティの欲求と普遍性を統合しようとする試みなのかもしれないと。

筆者は別の言い方でも指摘しています。私たちは自分の祖先、民族の伝統、宗教的コミュニティという〈垂直的な〉遺産と、同時代に由来する〈水平的な〉遺産を受け継いでいると。そして、これらのうち、後者の影響のほうが大きい。それが故に文化的にかつてないほど近くなり、着ているものは同一化し、参照するものが同じになっています。一方で、他者との差別化にあたっては前者に依拠することとなります。それによって独自性を見出そうとするのです。そして、それらが織り交ざることによって出来上がっているのが今の社会なのです。

水平的な展開の中にはグローバリズムがもたらす普遍性と画一性があるといいます。ここでいう普遍性の前提としてあげられているのは、”人間の尊厳には内在する諸権利が存在し、宗教、肌の色、国籍、性別その他の理由から、そうした権利を同じ人間に対して否認することはだれにでもできない”という考えです。これはどの独裁政権や宗教的権威にも対抗するべき理念です。一方で、画一性がもたらすものは精神的、物質的な退化です。誰もが受け入れられる、均一化した意見、同一化した音楽等、多様性が失われるのです。筆者の中ではこの二つは表裏一体だといいます。これらが複雑に絡み合いながら私たちに迫ってきます。

では、グローバル化の中で自己を保つためにはどうすればいいのでしょう。



どうやって私たちはこの時代と向き合うか

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上述した普遍的な考え方というのはグローバル化の波に乗り、幅広く浸透しました。一方で、画一化することによって物理的にも精神的にも貧富の格差は生じているのかもしれません。また、未だに民族や宗教に訴えて、当てはまらない人たちを排除しようという反動もあります。

しかし、この反動を許してしまうと文化的な多様性がなくなり、自身の所属するコミュニティの多様性の可能性がなくなってしまうのです。その結果訪れるのはコミュニティの拡大ではなく、衰退です。もちろん、そのコミュニティのみならず、全体の衰退であるのは言うまでもありません。

では、排除される圧力を受ける側はどうでしょう。彼・彼女たちにとって救いなのは排除される側も世間に訴えるかつてないほどに強力なツールを与えられているということです。ネットであったり、SNSであったりと。だから、継続して声を上げてほしいという筆者はいいます。それは大変なことではあるものの、必要な努力であろうと。

そして、これらに関与する人しない人に関係なく、筆者は語学を学び、隣人をより理解してほしいと訴えます。なぜなら語学こそが上述したどのアイデンティティよりも寛容だからと。そして語学を手に入れれば、声を届けられる数が飛躍的に増すからです。

具体的には3つの言語を学ぶべきとしています。1つ目は母語です。自己を確立するのに役に立ちます。そして2つめは英語。今のところ、世界で最も多くの人が理解し、多くの最新情報を得たり、発信するのに有用です。それはネット情報をみても明らかです。一つの話題について圧倒的な情報量を有すのが英語だから。そして、これらのあいだにもう一つ、自身の好きな言語を学んでほしいと言っています。その言語を学ぶことによってその国について理解を深め、その国民に興味を持ち、その国史を知るからとして言います。結果として、その言語は隣国へとつながり、やがて世界へとつながるといいます。

語学を学ぶことによって、アイデンティティを喪失せず、そしてコミュニティからの排除を逃れ、そして幅広い価値観の理解が進められるのです。

また、語学をもってすれば、アイデンティティを迫害したり、アイデンティティにへつらうこともなくなるのです。そのうえで、これを観察し、じっくり研究し、理解し、次いで調教し、飼いならすべきだと筆者は述べています。


感想的な何か・・・

筆者の主張はこの混沌とした世の中でも変わらないのでしょう。それは筆者がレバノンの事例を失敗例としながらも、その取り組みについて賞賛を送っているからです。

かつてレバノンでは、国内すべてのコミュニティへ社会参画を促しました。国会の議席から公的機関のポストまで。その結果、システムは崩壊しました。民族内での評価にとどまり、人間的質の評価にまでたどり着かなかったからです。それでも全員に参画を促そうとした努力は間違ってなかっと筆者は言います。

私たちはまだ最善の統治システムを得ていません。だからこそ、筆者が言うように不断の努力で次の社会を構築していかないといけないんだと思います。すべての人に開かれ、すべての人を排除しない世界が筆者の理想です。

つまり、それは個人が一つのアイデンティティに縛られるのではなく、個人を構成するすべてのアイデンティティを認め、総和としてとらえるものです。そして、みながその人の人間的資質で測られる社会を目指すべきで、そうすることによって全人類的な一体感がもたらせるとしています。

彼の言う理想社会にはまだまだたどり着けそうもありませんが、まずはその前段階、他者を理解するという観点から、語学を継続的に学んでいきたいと思います(というか、まぁ、好きなのでその論理にのっているだけというのもありますが・・・)。

いずれにせよ、筆者の現実を見つつも、理想を追いかけるスタンスは読んでいても気持ちいいものでした。まぁ、彼の進もうとする道は間違いなく険しいのですが。。。

上述のまとめはあくまで私の考えを反映したものです。当然のことながら、本文にはより多く事例を交えて、筆者の考えが書かれていますし、場合によっては異なる解釈もできると思います。そのため、ここまで辛抱強く読んでいただいた方にも、ぜひこの本を手にとって読んでほしいと思います(すでに読了の方にはご意見を賜れればとも思います)。そしてご感想をいただけるとありがたいです。

では、今回もわたしなりのまとめ・感想を読んでいただきましてありがとうございました。

本の概要

  • タイトル:アイデンティティが人を殺す
  • 原題:Les Identités meurtrières
  • 著者:アミン・マアルーフ(Amin Maalouf)
  • 訳者:小野 正嗣(おの まさつぐ)
  • 発行:筑摩書房(ちくま学芸文庫)
  • 印刷:星野精版印刷株式会社
  • 製本:株式会社積信堂
  • 初版:2019年5月10日(原著は1998年仏で発行)
  • ISBN978-4-480-09926-6 C0198
  • 備考:

関連サイト

著者はSNS等を行っていません。かつてはオフィシャルホームページもあったようですが、2020年3月末時点ではなくなっています。Youtube上には先日、マクロン大統領に叙勲された際の映像が掲載されています。そのほかにも多くのフランス語でのインタビューと一部英語のものがあります。興味ある方は根気よくさがしてみてください。面白い映像が見つかるかもしれません。

次の一冊

アマゾンのページでは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者ブレイディみかこさんがこの本を絶賛した旨、書かれていました。ご自身の著作「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」では自身のアイデンティティについて悩む主人公が登場します。確かにこの本ではそういう少年・少女にとって救いとも言えるメッセージが書かれているような気もします。この本がやや抽象的に思えたり、実際にどういう直面の仕方がありうるのか気になった方はこの本を読んでみてはいかがでしょうか。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーブレイディ みかこ新潮社2019-06-21

当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。お返しは今のところ何もできませんが、ここにSNSアカウント等を記載した半署名記事をイメージしています。要は人の手によるアマゾンリコメンド機能みたいなものです。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。

雑な閑話休題(雑感)

筑摩書房のHPより。筑摩書房のHPはその月の新刊が並べられていて個人的に使い勝手がよいです

ちくま学芸文庫を読むようになったのは、恥ずかしながら、社会人になってからでした。それもいわゆるインディペンデントな書店(中小のセレクトショップ)を回るようになってからかもしれません。

今では大手書店を回るときも、気になる新作がないかとか、以前呼んだ人のほかの著作がないか見て回るようにはなったわけですが、そのようなきっ嗅げなかったら、このレーベルと出会うのはもっと先だったのかもしれません。

そういうことを考えると門戸や出会いというのはつくづく大切なんだなと思います。アマゾンや他の電子書籍は本当に便利だけど、そこだけに門戸を限定していると色んな著作との出会いが限定的になりそう。

そういう意味でも書店を訪れたり、物事に触れるのは大事なのかな、なんてこの本を読み終えたあとにつらつら考えている次第です。そして、次に読むマアルーフ氏の著作をどれにしようかな、なんて。

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