日本酒の製造工程と寺田本家が選択した道
日本酒の伝統的な製造方法に回帰したのは啓佐さん自身のことが理由でした。色んなチャレンジがうまくいかなかった啓佐さんはやがて体を壊します。そして、療養の身で、なぜ寺田本家をここまで傷つけてしまったか、また自身の体を壊してしまうまで放置したかについて考えるようになりました。
そこで思い至った「発酵」と「腐敗」の違い。行われている現象は一緒なのに、人間によいものは「発酵」といい、よくなければ「腐敗」となります。この現象を自身に照らしてみると、自分が今まで作り続けていたものは「腐敗」をもたらすものだったのではないかと思うようになります。
啓佐さんは以前訪れたコメ農家さんが見せてくれたコメのことを思い出します。無農薬で育てたものは腐らないにも関わらず、農薬を使ったものは長く置いていくと腐っていくと。農作物に限らず、自分たちの生産物は人を腐敗させているのではないか。きちんと人の役に立っているだろうかと真摯に向き合うようになるのです。
この考えを後押ししてくれたのが哲学者常岡一郎(1899-1989)さんでした。啓佐さんの父の代から常岡一郎さんとの交流があり、啓佐さんに対しても「自分のところへ入れよう、入れようとするんじゃなくて、吐き出しなさい。力も汗も、親切もお金も、自分のもっているものはすべて吐き出しなさい。吐き出したら、ひとりでに入ってくる」という言葉をかつてもらっていました。それでも、若い時分にはよく理解できなかったと啓佐さんは言っています。
この格言と今までの行動、そして考えていることがすべて合わさった時、啓佐さんの進むべき方向性が決まりました。そこでさらに出会う言葉。
あなたのお酒は、お役に立ちますか
寺田啓佐著『発酵道』P61
それまでは売り上げを伸ばそうということに必死で、消費者がどのように自分たちのお酒を消費していたかには気を配っていませんでした。そして、そのお酒を摂取したことで健康になるかどうかなんて気にかけたこともなかった啓佐さん。
そもそも、お酒が「きちがい水」とよばれるようにまでなってしまった世の中です。でも、かつてお酒は「百薬の長」といわれていたことも事実。だから、自身の目指すお酒はかつて造られていたお酒だということに気づくのです。
「百薬の長」と呼ばれていたころのお酒は添加物を含んでおらず、その製法も今のそれとは違います。でも、近くにそのような手法で作っている酒蔵はありません。そこで寺田さんは製法の勉強を新たにし直します。
そして、寺田本家で取り組んでいた「速醸」という造り方をやめ、昔ながらの製法「生酛(きもと)」の簡略版である「山廃」での造り方に改めることにします。
さて、本書内で日本酒の作り方について触れられているのでここでも触れたいと思います。麹をつくる工程までは共通しています。
異なるのはその後の工程です。まずは一般的な日本酒造りの工程について。
日本酒造りを天然の酵母だけに任せると時間と手間がかかります。そこで各酒蔵では日本酒酵母協会が研究を重ねて作った日本酒造りに最適な酵母を使って酒樽内での酵母菌の活動を人工的にコントロールするようになりました。そして、さらなる味の向上を目指して添加物を使うようになりました。このことは先に触れたとおりです。
寺田本家の酒造りもかつてはこのようなものでした。しかし、これだと他の酒蔵との差別化はできません。プロモーションでどうにかできる状況でもない中で下のような製法に改めていくのです。
*この章で使われている図は『発酵道』にある図をサイト用にカスタマイズしたものです。
これだと酒造りに時間がかかります。また、温度管理も厳格に行わないといけなくなり、手間もかかります。ただ、この製法で作った日本酒の味は以前のものと比べ物にならないほど複雑で奥深いものになったと言います。
ただ、この味は必ずしも飲食店や販売店が求めているものとは異なりました。また、一般消費者の舌にもなじみのない味ですぐには受け入れられませんでした。
それを地道なプロモーションで販売を推し進めます。なぜなら、今までと違い、そこには絶対的な自負があったからです。そして、いつしか消費者から感謝の手紙が届くようになります。寺田本家のお酒を飲むようになってから体の調子が良くなったとか、病気が治ったとか。
啓佐さんのやってきたことが報われた瞬間でした。寺田本家はその後この製法で事業を軌道に乗せていきます。そこにはかつてのように効率を求めるだけでなく、緩やかに共助しながら成長していく姿勢があります。それは酵母が少しずつ育っていくようです。
大まかなストーリーはこんな感じです。本書内ではその細部について語られていますので興味を持った方はぜひ読んでみてください。最後に寺田本家の精神性について触れておきたいと思います。
寺田本家を支える日本酒造りの精神性
すでに述べたように寺田啓佐さんが日本酒造りにまい進するきっかけとなった精神的支柱に哲学者の常岡一郎さんの考えがありました。そして「酵母」や「発酵」について研究・理解を深めていく中で、寺田さん、そして酒蔵としての寺田本家は様々な考え方を吸収していきます。
そんな寺田さん、本書では読者にわかりやすく伝えるために発酵を行う微生物との共存について「御酒(みき)ひびき」という概念でまとめています。
これは=うれしき・楽しき・ありがたき
「うれしき」は自分以外の人に喜びを与えるもの。みんなが豊かになる。無条件に与える。尽くす。損をしても徳を積む。多種多様な力。仲良くする。徹底していく。変化する。
「楽しき」は楽しく働く。命をよりよく生かす。私利私欲を捨てる。お金も大切。適度に質素。素人の感性。掟、常識を破る。自分の持ち駒、持ち味を使う。順風に乗る。自己流の生き方。
「ありがたき」は無限に感謝する。神意に添う。自然に学ぶ。素直にみる。プラスの言葉。勇気・決断・実行。信用、信頼。トラブルは自分の責任。決断は自分一人。謙虚。
本書内ではこれら一つ一つのことについて酵母との関係性に重ねて説明をしていますのでここでは触れません。
日本酒造り、そして酵母との付き合いは色んなことを寺田さんに教えてくれたことがこの一覧をみてよくわかる気がします。読了後は少し不思議な気持ちに包まれながらも、身の回りのことを少し気遣ってみたくなる、そういう気分にさせてくれました。生きづらく感じることが多々ある世の中ですが、この本を読んで気持ちを新たにしてみてはいかがでしょうか。
本の概要
- タイトル:発酵道-酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方-
- 著者(題字・イラスト):寺田啓佐(てらだ けいすけ)
- 発行:株式会社スタジオK
- 発売:河出書房新社
- 編集:吉戸日央理
- 装傾:吉戸天晴
- 印刷・製本:株式会社亨有堂印刷所
- 第1刷 :2007年8月30日(11刷2018年5月15日)
- ISBN978-4-309-90745-1 C0095
- 備考:カバー写真(本間日呂志)、口絵(松澤亜希子)、本文(寺田優)、版画(篠崎一彦)、ハンコ制作(小畑恵)、本文組版(ORYZA)
関係サイト
- 寺田本家:https://www.teradahonke.co.jp/
- 日本醸造協会:https://www.jozo.or.jp/
- SAKE TIMES:https://jp.sake-times.com/
寺田本家のHPには通販サイト、SNSページへのリンクもあります。また、寺田本家の商品を取り扱っているお店も紹介しています。商品に興味を持たれた方は訪れてみるといいと思います。もちろん、寺田本家が本書以降に力を入れた取り組みについても細かく書かれていますのでそちらの様子を知るのにもいいと思います。
日本醸造協会は本書にも登場する協会酵母を研究している団体ですが、その他にも多くの研究を行っていて醸造酒の発展・普及に努めています。醸造や日本酒に使用される酵母についてきちんと学ぶ場としても有用です。そして、SAKE TIMESではより一般的で幅広い知識が得られます。しかもとても洗練されたデザインのイメージイラストが無料で使えます。趣味の仲間で開催する勉強会等で使うと評判よさそうです。
次の一冊
この本の中でも触れられている神崎神社の近くでは寺田本家が運営する発酵暮らし研究所&カフェうふふが発行する塩こうじ、酒かす等を活用したレシピを収めた本なんていかがでしょうか。一部メニューは寺田本家のHPでも公開されていますのでどんなもんか見てみるといいかもしれません。そして、おいしいなと思ったらこの本でいろんな料理に挑戦するのも面白いと思います。
寺田本家 発酵カフェの甘酒・塩麹・酒粕ベストレシピ寺田 聡美家の光協会2019-12-16
当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。
雑な閑話休題(雑感)
合理化とオートメーションを進めるか、それとも徹底的な原理原則に戻るか。色んな業界で問われ続けている問題だと思います。大手で体力があるところは前者を進めてシェアを拡大していくでしょうし、中小を中心に規模的な追及をせず、また独自のノウハウや製法がある場合は後者を選択する場合もあるとおもいます。
そしてAIの登場と昨今のコロナ禍でその流れはさらに加速したように思えます。いくらリスクを抑えたとしても企業理念の共有がなされていなければお客さんは訪れなくなり、またオンラインでの購入もないと思います。逆にその理念さえ共有していれば再訪もオンラインもあるのかな、なんて思ったりします。
個人的には色んな店があって多様な価値観が生まれ、多様性を受容できる社会になると思うので3年後、5年後、もしくは10年後、そんな時代があったねといえる状況になればいいのですが、なかなかなりそうにないですよね。
今回は自分ができること、できないこと、色んな事を実感する機会となりました。
では、本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。また次の記事でお会いできることを楽しみにしております。
- 1
- 2