内容
パン作りのムック本や参考書は現在巷にあふれかえっています。それらを読めば、とりあえずパンを作ることができます。
実際、わたしもそういう参考書を使いながらいくつかのパンを作っています。ただ、出来上がったパンをみると、ふくらみが十分でなかったり、色付きが十分でなかったりすることがあります。もしくはもう少しこういう味を実現したいと思った場合、パン作りの基礎がわかっていないので、参考書からの応用が利かないことがあります。
そういう時は少し本格的な本を買うのもいいかなと思うのですが、なかなか腰が重いというのが現実でして。。。
この本はある程度そういう悩みを解決してくれる本です。なぜなら、この本はきちんとパン工程を取り上げ、具体的に原材料がどういう働きをおこしているのかを『科学』的に説明してくれているからです。そのため、出来上がったものを見て、何が原因かということについてヒントをくれ、次回のパン作りの改善手段がわかるようになれる、そういう本だと思います。
もちろん、真にパンの中でどういう化学的な反応が起こっているかについてもわかりますし、科学的な検証もいくつか行われているのでそういう科学的な解析好きな方にもある程度満足いただける新書でもあると思います。
パンの科学 しあわせな香りと食感の秘密 (ブルーバックス) [新書]吉野 精一講談社2018-05-16
内容を振り返りながら、時に感想
わかりやすい本の構成
タイトルに『科学』と書いていますが、本書は新書でもあるので、できるだけわかりやすく、とっつきやすい構成にしたんだろうと思います。
本書は最初にパンがどういったものかについて整理するところから始まります。パンで使われる素材やその作成工程などを改めて説明して読者の理解度を引き上げます。次にトレビア的な知識も交えながらのパン作りで使われる言葉の理解です。
例えば、パンとブレッドの語源の違い(まぁ、これはトレビアだけど面白かったので)。
「パン」はラテン語の食物全般を指す「パニス(panis)」を語源としていたのが、現在のパンを指すようになったとのこと。そして、「ブレッド」は醸造を意味するゲルマン語の「ブラウェン(brauen)」から派生したとのこと。私は単純に仏語と英語の違いと理解していたのですが、そもそも語源が異なるということには驚きました。考えてみればあまりにも発音が異なりますもんね。。
その後、リーンやリッチ、ソフトやハードがどんなパンを指すのか、そしてその違いと相関性がどういったものか等を説明。ここまでで私たちの身の回りにあるパン、例えばバゲットや山食パンがどういった風に作られているかが想像できるようになります。
そして2章ではいったん製造工程を離れ、パンの歴史を科学的に紐解きます。中央アジアが発祥とされる小麦をもとに主に無発酵のパンが広まり、そしてエジプトで研究がすすみ、今の原型となる小麦を使った発酵パンがすでに紀元前2000年には確認ができていること。その当時使われてたパン器具の具体的な利用法も説明しています(エジプトの粉を挽く女の絵は有名ですが、具体的な道具の使い方は説明されないことが多いですよね)。
大きな歴史書ではないので前後の関係がすんなり入ってきますし、著者は料理の専門家でもあるためにどんなパンだったのか、具体性を帯びてイメージしやすかったです。
個人的に興味深かったのはイーストにまつわる歴史。イーストの歴史に触れなければ20世紀にここまでパンが世界を席巻するユニバーサル・フードとなることはなかったはずなのに、案外知らないことばかりでした。
そして、3章ではいよいよパンの製造工程を科学的に解明していきます。この本の真骨頂ともいえる章です。これについて少しだけ別建てで触れることにして、その後は再びトレビア的な話をちりばめてくれています。
トースターで再加熱するとなぜパンは美味しくなるのか。ホームベーカリーに施された工夫だったりと。いずれも知らなくてもよいことですが、知っていると待っている時間のワクワク度が増すような気がします。また、最終章では国毎に食べられているパンの名前とそれにまつわるエピソードが紹介されています。この辺はパン好きとの間のコミュニケーションツールとしても使えるかもしれないし、またショーウィンドウのPOPにも使える知識かもしれないな、と思いながら読みました。
パンの科学的分析とその効用
3章~5章について少し詳しく。まず3章では各材料の役割について。パン作りの工程でほぼ共通して投入する①小麦、②イースト、③塩、④水と、パン種によってまちまちとなる⑤糖類、⑥油脂、⑦卵、⑧乳製品、が各々どういう作用を引き起こしているかについて科学的にわかります。
小麦については、パン作りの最も基礎となるグルテンが グルアジンとグルテニンを主成分としていて、どういった構造となっているのか。そして、グルアジンやグルテニンが具体的にどういう特性をもっていて、それがどのようにパンの伸縮性や粘性に影響を与えているか等。
イーストについては、その種類やパンの生地中での活動について詳しく書かれています。そして小麦や糖との関連性についても。それらを知るとこねる作業がより楽しく感じられるかもしれません。
少量加えられる塩、私個人は味を調える機能があるのかな?とでも思っていたのですが、これ自体にもグルテンとの関係性を示し、パン生地を引き締める役割があることを教えてくれます。
水の硬度についてもずばりどのくらいがパン作りに適切なのか。またちょうど良いpH値はどのくらいか。プロは何に気を付けて硬度調整をしているか等について解説してくれています。
もちろん家でのパン作りの場合で水道水を使っている場合は、基本的には気にしなくていい項目(硬度50-120ppm)ではありますが、ミネラルウォーターを使う際には一度その硬度を確認したほうがいいのかなとも思います。また、ミネラルウォーターに含まれるミネラルがどのように作用しているのかについては塩の章でもすこし触れられていて、興味深いものがありました。
少し長くなりましたが、これらを理解すると今までなぜ生地の伸縮性が弱かったかや、もちもち感が足りなかったかがわかってきます。逆に言えば、どの工程に時間をかけるべきか、もしくは短くすべきかがわかります(すると改めてパンを作って通ぶってみたくなるんですよね。。。)。
実はこの部分、すごい大切だと思っています。多くの教本ではレシピや製法は書かれていても改善策については置いてけぼりだったりします。上の各章ではその数値の上下動でどういった現象が起こるのかが書かれているので、それに応じた対応をすればよいこととなります。
また、この本ではわかりやすい指標として”焼減率”について取り上げています。
焼減率=(分割時のパン生地重量-焼成後のパン重量)/分割時のパン生地重量×100
『パンの科学』p177
この指標はパン生地からどれだけ水分が出ていったかを計算したもので非常に簡単に計測できます。そのため家庭でもすぐに取り入れることができ、知っているかどうかでだいぶ違うような気がしました。
その後もパンの味の決め手となる素材や化学反応とかを丁寧に説明していて、どの項目も、そしてどの表も永久保存版ではないかと思われるものばかりです。
そして、もしさらに知りたいものがあったら本書の最後に詳細に書かれている参考文献に当たればいいのかなと思います。新書にもかかわらず本当に多くの国内外の資料や論文が使われています。それを参考にしている本書、本当に勉強になりました。。
本について
本の概要
- タイトル:パンの科学-しあわせな香りと食感の秘密-
- 著者:吉野 精一
- 発行:講談社ブルーバックス
- 印刷:豊国印刷
- カバー印刷:信毎書籍印刷
- 製本 :国宝社
- 第1刷 :2018年5月20日
- ISBN978-4-06-544661-6 C0240
- 備考:ブルーバックス(レーベル)
関係サイト
- 著者のインタビューページ等は いくつか掲載されていましたが、SNS等の個人ページは、私が調べた限りではありませんでした。それだけに講演会や授業、そして今回のような書籍は大切なのかもしれません。
次の一冊
この本を手に取ったら、たぶん再びパン作りをしたくなる方が多くいらっしゃると思います。そして作ったら、レシピを自分なりにアレンジしていきたくなると思います。その際に役立つのが吉野先生の『パンの「こつ」の科学』です。ちなみにこの対はコーヒーでもおすすめだったりします。
パン「こつ」の科学―パン作りの疑問に答える [単行本(ソフトカバー)]吉野 精一柴田書店2009-10-06
雑な閑話休題(雑感)
ブルーバックスの『○○の科学』シリーズは 非常に重宝しています。最初に出会ったのは、香りか味かだったと思います。そのどちらかを読んだときに書いてあることの科学的なアプローチに好感を持って、それ以降、興味ある分野の初心者本と応用本との間をつなぐ本として読むようになりました。
ちなみにブルーバックスシリーズは書店によって配置されている場所が異なるので探すのが大変な気がします。他の新書と配置しているところもあれば、科学関連書の中に置かれていたり、特定ジャンルのなかにバラバラに配置されていたり(今回の場合はパンの本の中)と本当に様々でした。それを探すのも楽しみだったりします。それによってその本屋さんのスタンスもわかりますしね。
ところで今回この記事を書きながらブルーバックスのサイトを覗いていたら面白いものを発見しました。
ブルーバックスアウトリーチというサイトでほぼ科学・学術系のクラウドファンディングと考えてよいのですが、一部の業務を発案者に変わって講談社が担うというものです。どんなに良い企画を机上で持っていても発案者がすべてをできるとは限りません。そのため、発案者にないノウハウの部分を講談社が担ったり、共同で企画等をしながら資金を募り、その対価としての成果物についても講談社が責任を持つというものです。また、一部の者については寄付という形式でも募集していて、その内容はクラウドファンディングとは一味違う知識欲を刺激するものとなっていて非常に面白く感じました。
私も面白そうなのがあれば参加してみたいと思います(これから募集内容の吟味です。結構楽しみ)。