【本紹介・感想】英語教育について自身で考えてみるきっかけに『迷える英語好きたちへ』

内容

 本書では英語教育の専門家で、NHK教育やラジオの英会話番組の出演・監修等も務める鳥飼玖美子先生と斎藤兆史先生が、文科省が推進してきた英語教育改革と大学入試の民間試験導入を中心に日本の英語教育の今がどういった状況にあるのかについて議論を交わしています。

日本の教育カリキュラムの中で多くの時間が英語に割かれているのにもかかわらず、外国人と対面した時にちょっとした英会話にも苦労する日本人がとても多いという世論や政治家の意見を受けて、現在文科省を中心に見直しが進んでいるのが「英語教育改革」です。具体的には今までの教育内容を見直したり、より幼少期、つまり小学校からの英語教育を実践したりするものです。

一方、「大学入試改革」は既存のセンター試験では能動的な英語能力について評価ができていないとして、そのノウハウを持っているであろう民間企業に英語試験を委託しようという試みです。

「英語教育改革」については随時導入されて行っていますが、結果として現場は混乱、教員は疲弊し、果たしてこの導入が本当に適切だったのかについて議論されています。「大学入試改革」については、その後導入が見送られることとなりましたが、本作が執筆・編纂された2019・2020年末時点でどのようなことが問題だったか、またどういうことが本来なされるべきだったのかについて話されています。

日々のニュースでは現場の情緒的な混乱や近視眼的な問題点の指摘にとどまっていることが多いですが、この本ではより本質的な問題点と向き合い、英語教育がどのようにあるべきか、そしてどういうことに注意すれば、より英語の本質的な部分と向き合うことができるようになっています。英語教育と向き合うならば、一度本書を手に取ってみてはいかがでしょうか、より本質的なところで学ぶことができると思います。そして、その結果効率的な英語が身につくのではないでしょうか。

迷える英語好きたちへ (インターナショナル新書)

迷える英語好きたちへ (インターナショナル新書)斎藤 兆史集英社インターナショナル2020-10-07

感想と読みどころ

全体(二人の掛け合い漫才からの真摯な構造問題の指摘)

本書の構成は二人の対談と、その対談で話された内容を深堀する二人の寄稿文からなります。対談では文科省や政治家が取り上げられているニュースについて話しながら、英語教育に長年携わった知見や欧米の現状の研究を踏まえた議論が行われていて、各項目いずれも読みごたえのあるものとなっています。

何よりお二人が英語教育について、立て板に水がごとく議論が進み、その会話が漫才のように面白く、読者をいつの間にか引き込むんです。そして、引き込んだ状態のまま、やや落ち着いた文で綴られる寄稿文につながっていき、いつの間にか自分のことのように問題点について真摯にむきあうようにしてくれています。英語の専門家として二人の会話が進むので、一部専門的な用語も出てきますが、基本的には後のエッセイでおさらいをしつつ、詳細を解説してくれていて、取りこぼしがないようになっていました。

ちなみに斎藤先生は政府の施策に対してどちらかというと厳しめのトーンで、また専門であるがゆえにどんどん話を展開させるきらいがあるのですが、それを鳥飼先生がマイルドに言いなおしたり、原典へ言及したりするのがとても微笑ましく思いました(二人とも先生なのに少し先生と生徒を見ているよう。鳥飼先生ならではなんでしょうね。その様子はNHKEのSNS英会話の爆笑問題太田さんとの会話のようです)。このやり取りは英語とか教育とか関係なく、まるで漫才の台本のようで読んでて面白かったです(笑)。

以下、個人的に読み留めておきたいと思った内容を振り返っていきたいと思います。あまり時間をかけずに、英語教育に関する自分なりの問題意識を持てる本となっていますので、興味ある方には一読をお勧めします。

大学入試試験の民間企業導入はなぜ困難だったか

CEFRに関する概要説明動画

第一章では、大学の英語民間試験導入に関連する現場のどたばたと、日本の英語教育が見本としている欧州における英語(外国語)教育の実態についての説明です。

欧州では「母語の他に二つの言語を学び、相互理解から世界平和に結び付けよう」という「複言語主義」という理念があります。そしてこの評価基準として「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment、以下「CEFR」)」というものがあり、活用されています。

日本の英語大学入試制度は多数の民間企業の試験実施者が参入することに対して、公平性を担保するためにこのCEFRの基準にいったん換算すれば、公平な比較ができるとして、制度設計を発表しました。ただ、ここで問題となるのが、CEFRはあくまで参照レベルの枠組みであって絶対的なものではないとのこと。また、CEFRの運用実態を確認・監督する機関はありません。そのため、民間企業が実施する試験において恣意的に試験結果をコントロールできなくもないこととなります(もちろん、試験監督機関を別に設ければいいのでしょうが、それを判断するのは誰か、そしてその判断内容が正しいのか不明です)。その結果、民間企業の試験の質と公平性が担保されていないとの指摘が相次いだとのこと。加えて、テストの採点者についても一定レベルをきちんと確保できるのか、またその採点方法が公平なものになるかについても多くの指摘があったそう。

一方で、不評といわれていたセンター試験英語についてはミスがないように幾層にも策が練られていることや、文科省が定める指導要領にきちんと準拠していて学習習熟度をきちんと測ることができる等、良い面もあったことを指摘しています。

結果として大学入試試験の民間導入は延期されたわけですが、1章では専門家レベルで導入しようとしていた試験に対してどのような問題が挙げられていたのか、当時のリアルな雰囲気が確認できます。

「四技能」に基づいた勉強

2章と3章では英語民間導入試験を導入する際に理由として使われた「四技能」について、鳥飼先生と斎藤先生が各々問題点を指摘しています。

語学教育において長らく大切と考えられてきた「四技能」という考え方があります。それらは「読む」、「聞く」、「書く」、「話す」のことを指します。ざっくり言えば、これらを獲得すること語学(今回は英語)によるコミュニケーションが可能になるという背景に基づき、英語教育、そして試験の改革を行おうとしました。

しかしながら、日本がこの「四技能」に対応したころ、欧州では「七技能」が提唱されるようになったとのこと(CEFR Companion Volume, 2018)。つまり、既存の「四技能」に加えて、「受容(reception)」、「産出(production)」、「やりとり(interaction)」、「仲介(meditation)」のコミュニケーションに関する項目が追加されました(ちなみに文科省がこれに対応しなかったわけではなく、2001年のCEFR改訂の際には「やりとり」を加え、対応していました。)。

そのため、試験改革を行うにせよ、欧州でも語学学習に関するアップデートが行われているなら、日本でもそうするべきだし、より丁寧に議論をすべきにも関わらず、試験導入推進派の人たちは、「四技能」を議論の中心に沿え、議論が深堀されずに進んでいってしまったと指摘しています。

一方で、そもそも、こういう聞こえの良いワード(コミュニケーション、グローバル、四技能等々)を表層的になぞるだけではだめだと斎藤先生は警鐘を鳴らしています。当たり障りのない日常会話ができたとして、それが必要な人はどのくらいいるのか、またそれよりは一部に特化とした読み書きができた方が役に立つこともある等、具体的に何が求められるのかを文章で指摘されていました。

現場に起こっている問題点の数々

第4章では英語教育が推進された結果、教育現場で起こっている歪みについて指摘しています。例えば、今まで英語がカリキュラムになかったため、急ピッチで先生も学習しているため、先生が「学習者」化していること。その結果、先生が間違って教えてしまう可能性がある危うい現場が生じている等。英語との出会いという大事なイベントにもかかわらず、そのような教育を受けてしまうことについてそれでいいのか、疑問を呈します。そもそも、教員は多くの役割を担わされているのに、そこに新たな役務を課すというのは教員の優先順位としてもどうなのかという根本的な問題点についても忘れていません。

さらに英語教育が高校と大学で断絶している問題についても指摘し、試験だけを改革することなく、全体としての整理が必要性を訴えます。

今回の大学入試改革は英語教育においてシンボリックな事件でしたが、身近にも多くの問題が放置されていることを認識できる章になっていました。

カタカナ(和製)英語の氾濫とその是非

第5章と6章は氾濫しているカタカナ英語の問題点について。コロナ禍でも、多くの英語を聞くようになりました。「ソーシャルディスタンス」「オーバーシュート」、「ロックダウン」、「ゴートゥートラベル」、本来の意味とは異なる意味で使われたり、文法的に間違ったものであるということは、本書以外にも色んな場面で紹介されています。

まず「ソーシャルディスタンス」。これはもともと社会心理的な距離を指します。人にとって自然とバリアを作ってしまう距離のこと。一方で疫学的な社会的距離を置こうとする行為は本来「ソーシャルディスタンシング」ということは色んな教育番組でも指摘されている通りです。

さらに海外のニュース報道では必ずしも耳慣れない「オーバーシュート」。日本では「爆発的な感染拡大」的な意図で使われましたが、元来は「行き過ぎ」や「予想を超える」といった意図で使われていたそう。この結果、日本で使われているカタカタ英語を異なる英語に訳すという変な光景が生じているとのこと。

一方で「ゴートゥートラベル」などのように日本人にとっての理解しやすいさや響きを重視するばかりに間違った文法が導入されるのも間違った用法の理解へとつながり、危険性を指摘しています。

本来と異なる意味や用法で理解したままだと海外の方と話す際に誤解を生んだり、デメリットとなります。また、安易な英語の導入は断片的な理解にとどまり、本質的な理解への疎外になりかねないとも。

この章では雑学的な観点からも興味深いですし、自分の普段使っているカタカナ英語をもう一度確認しようという意識にもさせてくれる、深い章にもなっていました。

メディアが果たせる英語教育

NHK教育 英語サイト(リンク)。色んな目的やレベルに対応した番組が充実しています。しかも、あっと驚くような国内外の有名人がゲストとして登場することも。

第7章から最終章にかけては、メディアを通じた英語教育についてです。

人びとの英語に関するニーズが多様化し、それに応えるようにインターネットで多くのコンテンツが誕生していいます。その中で、NHKラジオ・テレビで番組制作に携わるお二人が変化しつつある現場の雰囲気を余すことなく語っています。

例えば、NHKではいわゆる「正しい英語」とされる、アメリカやイギリスの一部の地域で使われる英語を教えるイメージがありますが、時代に合わせて東欧やフランス、スペイン訛りの英会話が飛び交うドラマを題材にしたこともあるそうです。

また、教科書的な題材に縛られることなく、時事ニュースを取り扱う番組も以前に比べて多くなっているそう。

一方でインターネットメディアにはできない、NHKならではの番組制作の技術力や調査力もあるとのこと。例えば、イギリスの普段公開されていない場所に調査に行き、現地の学芸員にインタビューをする。そういう場所に入れるのはNHKに対する信頼があるからこそでき、そこでしかできない番組作りというものがあると指摘します。

私たちはそれら両方をうまく組み合わせることで自分なりの英語を手に入れることができる、そういうふうに感じられる章でした。

上段でも書きましたが、全体を通して知的好奇心を刺激されるとても良い本という印象を個人的には受けました。そしてこの本のおかげでまた語学に対して研鑽し続けたいと思うようになりました。

本の概要

迷える英語好きたちへ (インターナショナル新書)
  • タイトル:迷える英語好きたちへ
  • 著者:鳥飼玖美子、斎藤兆史
  • 発行:集英社インターナショナルtw
  • 装幀:アルビレオ
  • 印刷:大日本印刷株式会社
  • 製本 :加藤印刷株式会社
  • 第1刷 :2020年10月12日
  • ISBN978-4-7976-8060-7
  • 備考:本書の第1章及び第4章は集英社クオータリー『kotoba』2019年春号・特集「日本人と英語」に掲載された対談、そして2019年秋号から3回にわたって連載された対談に加筆・修正したもの(巻末より)(インターナショナル新書060)

関係サイト

文科省 外国語教育サイト:https://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/index.htm

CEFRサイト:https://www.coe.int/en/

文科省、CEFR、いずれのサイトでも外国語に関する教育方針や基準について広く公開されています。本書の中でもたびたび参照されていますが、より詳しく知りたい方は一読してみるのがよいと思います。ちなみにCEFRの概要についてはyoutube上ではBritish CouncilやCambridge Englishがきちんと解説しています。どの試験を受験するか迷っている人は一度読んでみるといいかもしれません。

次の一冊と番組

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)玖美子, 鳥飼新潮社2004-03-28

この本ではお二人の個性がだいぶ出ていたと思います。そのため、どちらが自分と相性が良いかわかります。であれば、その方の著作を読み深めるのが正解だと思います。個人的には鳥飼先生の本が好きで何冊か以前のブログでも紹介しています。その中でも文庫にもなっていて読みやすい『歴史を変えた誤訳』は歴史好きにも英語好きにおもしろく読み進められる一冊としてお勧めです。過去の歴史的な場面で英語ができなかったり、できたけどそれが故に発生したミスコミュニケーションがたくさん収められています。

そして、本書でも言及しているNHK教育で放送されている『世界へ発信!SNS英語術』・・・は惜しくも終わってしまいましたが、その後継番組の『世界にいいね!つぶやき英語(今は『太田光のつぶやき英語』)』も全番組と同様に話題となっているトピックについてSNSユーザーがどう英語で反応しているか紹介、自分たちでもそれらについて反応してみようという実験的な番組です。

個人的には爆笑問題太田さんの新たな一面が見られて、とても好きな番組です。ちなみに鳥飼先生と太田さんのやりとりは、何か学生時代の先生と生徒の関係をほうふつとさせて、とても微笑ましくなります(上にも書きましたが、鳥飼先生と斎藤先生のやりとりもこれに通じるものがあります)。まぁ、英語学習に最適かというと微妙かもしれませんが、SNS片手に見るにはちょうどよい番組だと思います!

雑な閑話休題(雑感)

このブログを書いているとき、とうとう英語検定協会が共通試験への参入を諦めたということがニュースになっていました。そして、文科省としても共通一次の元来想定していた試験方式を見直すとのことです(すみません、このページだいぶ放置していました。その後民間による大学入試の実施も延期になりましたね)。

厳しい状況にはなっていますが、再度腰を据えてどういうテスト、そしてそこに至る教育が良いのか、再考するいい機会なのかもしれません。今回は前回よりも注目を集めているので色んな人のコメントも来るかと思いますが、文科省の担当部局にはどうにか頑張ってほしいなと思うばかりです。

さはさりとて、私たちの英語学習は待ってくれません。どうにか継続して続けないといけないのですが。ただ、最近デジタル化が進んで思うのは英語へのアクセスが本当に容易になったということ。

 例えばyoutubeには英語入門、英語圏の語彙比較、英語文化、果ては教育の枠組みを超えて、専門分野に関するウェビナー等々、色んなコンテンツがあります。もちろんNHKのような何重ものチェックは経ていないので品質はまちまちです。ただ、そういう英語シャワーを安価で、かつ手軽に浴びれるようになりました。

なので、英語教育の枠組みにとどまることなく、自主的に自分の興味のある英語コンテンツを探す時代になっているのかもしれません。結果としてそれが個人の英語能力を向上させるんではないかなと思ったりもします。皆さんのお気に入りの英語チャンネルはなんでしょう。いつか機会があれば、私のかなり雑多なお気に入りyoutube番組一覧を紹介したいと思います。

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。また、次の記事でお会いできることを楽しみにしています。

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