【本紹介・感想】戦争でも人物でもなく、飲み物から見た歴史『歴史を変えた6つの飲物 ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語る もうひとつの世界史』

奴隷貿易と産業化社会を象徴する、紅茶

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確認できる文献によるとお茶の起源は紀元前1世紀以前の前漢までさかのぼるという。また、それ以前、数千年前にはヒマラヤで葉っぱを砕いて噛む習慣があったこと言われている。

お茶は、米やアワのビールよりも殺菌作用が含まれ、衛生的だった。そして、その有用性から唐では、当時使われ始めた紙幣と共に、通貨(磚茶(たんちゃ))としても使用された。紙幣は首都を離れると価値が減ったが、茶は逆に価値を高めていったという。

このように東洋社会を中心に広まった茶文化だが、東西の交易路ができると西洋にも知られるようになる。16世紀中ごろ、当時唯一明と交易を許されていたポルトガルは少量ながら、ヨーロッパに持ち帰ったのが始まりだ。当時、持ち帰ったのは緑茶だといわれている。それが明朝時代になると、一日寝かせ、茶葉を酸化させた紅茶がメインとなる(中国人は紅茶よりも緑茶に重きを置いていた)。この紅茶がどのようにできるか、当時のヨーロッパ人には見当もつかなかった。

ちなみにこの辺の説明は学校で習ったのと違ったのでびっくり。私が習ったのは長い航路の末、酸化発酵が進んで茶が紅茶化したというものでした。この辺はほかの文献も調べてみると楽しいかも、なんて思っています(詳しい人、教えてください~。)。。。

17世紀初、香辛料や綿織物の輸入をメインに行っていた東インド会社は、お茶に目をつけるようになる。当時東インド会社は安い織物をイギリスに持ち込もうとして、生産業者や他の貿易商の反対にあい、一部を断念していた。それが紅茶の場合、利害関係者が一部の小さな貿易商以外いなかったのである。その後、東インド会社やイギリス王室とも結びつきを強め、そしてイギリスにおけるコーヒーの価格競争にも勝ち、肥大化が進む。そして、最盛期には東インド会社の交易全体の60%を茶貿易が占め、それによってイギリス全体の関税収入の10%程度を占めるまでになった。

国内の普及に際しては、様々なマーケティングが行われた。1717年にはトーマス・トワイニングが自身のコーヒーハウスに隣接する敷地で、 女性をターゲットとした紅茶専門店を開いて、人気を博した。その後、様々なティーガーデンが各地でオープンし、若い男女の交流の場としても流行った。

当時のイギリスでは、コーヒーはデスクワーカー、紅茶(ミルク入り)は労働者が飲むものとみなされていたそう。特に殺菌作用の強い安全な飲料である紅茶の普及は幼児の死亡率を減らし、産業革命の労働力の確保へとつながった。

グローバル社会とアメリカ資本主義の象徴、炭酸飲料

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今やどこのコンビニの冷蔵庫にも置かれている炭酸飲料。そのデビューは極めて現代的だ。18世紀末に産業革命を起こしたイギリスで牧師であり、科学者でもあったジョセフ・プリーストリーがガスが空気より重いことを発見し、水への混入に成功したことによる。

当初、ガス入水(炭酸水)は、健康に良いとされ、医療用に作られていた。その効用を信じた薬剤師トーマス・ヘンリーは、炭酸水にレモン果汁や糖を混入したものを作り、販売し始めた。すると、各地でこの炭酸飲料を生産する機会が作られ始める。

本当に大きな生産のきっかけとなるのはアメリカ・フィラデルフィアで開催された1876年の国際博覧会まで待つ必要があった。ここで、ジェームズ・タフツがアークテック・ソーダ・ウォーターなる機械を紹介すると各地から購入の要望が相次いだ。

ほぼ同じころ、1886年にはアトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンが試行錯誤の上、興奮作用のある南米を原産とするコカノキの葉と、西アフリカ原産でカフェインを持ち、刺激作用のあるコーラノキを含む炭酸飲料を作り上げる。それがコカ・コーラの源流である。

その後、この会社は卓越したマーケティングとブランド戦略によってアメリカのみならず、世界へと自身の商品を展開するようになる。現在、コカ・コーラ社は全人類の飲み物の約3%を供給しているという。

次の章は近年飛躍的な伸びを示している飲み物について言及したエピローグと本の概要について。

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