内容を振り返りながら感想
全体を通して
本書は日記形式ですが、日々の勤務実態だけでなく、イギリスの医療制度についても触れていて、さらに著者のアダムが医療従事者としてどういう風に感じているかが書かれています。そこにはプロフェッショナルや記号としての医師ではなく、一人の人間アダム・ケイとしてどう考えているかがありました。これを読むと、今まで単に”先生”と呼んでいたお医者さんにも当然のことながら一人一人名前がついていて生活があるんだなと改めて強く意識せざるをえません。
そして、日記形式にありがちな単調さは本書から全く感じられません。目まぐるしい医療現場を、時にユーモアを交えて、時に真剣に語ってくれました。編集後記で書かれていますが、本書はたくさん書かれた日記記事の中から、本として販売できるのもののみ残ったとのこと。これは当然ですが、あまりに過激なものや退屈なものは省いたということです。それにもかかわらず、たくさんの大いに笑えるエピソードが盛り込まれ、それだけでもお腹いっぱいになるほどのボリュームでした。
ちなみに洋書としての本書は、病気や症例に関する英語が出てくるので少し読みにくかったかもしれません。ただ、これは日本語でも同様なことが言えるのでその程度かも。それ以上に基礎知識がなくても笑えるエピソードや彼が持つ悩みについて共感する部分も多く、引き込まれていきました。結論としてはこの本に出合えてよかったと思うほど。
では、次にどんな部分が好きだったか少しだけ紹介させてください。
と、その前提として、まず、本書で書かれているイギリス国内において一般的に医師になる人のキャリアについて触れておきたいと思います(当時のものと現在のものは異なる可能性がありますので留意ください)。
イギリスで医者になるまで
医療の道に進むには成績上位者である必要があります。大学受験のために内申点(A grade)が必要だからです。ということは16歳のころから成績には気を付けなければいけないのです。でも、学生の多くはこの時点で覚悟をもって決めているわけではないと言います。親が医者だからとか、大学の街が好きだからとか、もちろん、癌患者を治したいというひともいるだろうけど、まぁ、これは少数派であろうと著者は書いています。また、インタビューテストもあるため、志望者はボランティアに勤しんだり、医療とは全く関係ないスポーツに勤しむこともしばしば。ただ、ラグビーの大会で活躍したからって、それが一体何の役に立つのか、わかりかねるとは指摘していますが。。。まぁ、強靭な精神力はそのあとに必要かもしれないし、体力は間違いなくあったに越したことはないからしょうがないのかもなんてコメントもしています。さらにいずれも大学では教えてくれないことだからとも。。。この医者になるための教育システムには大いに課題があるだろうと筆者は指摘しています。
そして、そんな理由で進んだ道に待ち構えるのはとてつもなく厳しいいばらの道です。大学で6年ものあいだ寸暇を惜しんで学んだ後、すぐに実地研修に放り出され、Junior Doctorとしてキャリアを積むことになります。この本で象徴的な肩書です。簡単に言うと開業医や管理側の役職(Consultant)以外はほとんどこれにあたります。そのため、何十年過ぎてもJunior Doctorの可能性もあるので、Juniorの肩書にだまされてはいけません。
とにかく、筆者もJunior doctorとして一年間経験を積んだのちに、専門領域を決めることとなりました(まぁ、その専門領域の決め方も人気だったり、個人の得意分野というよりは空気感だったりするのも、大いに問題あるとは思っているそう)。本書はJunior Doctorになってからの物語として、このあたりから書かれています。
アダム、医療現場に出る
Junior Doctorとしてのオリエンテーションを経ると各病院へと各々散らばっていくこととなります。著者も病院に赴任して、いきなり現場に立たされることとなります。患者からも看護師からも、この素人が、という視線を浴びせられますが、患者を余計に不安にさせないように無表情でこなしていきます。ちなみに先輩医師がつきっきりとか、そんなことはありません。ある程度は自身で診断して、次に何を行うか判断しなければいけない。本当に本人も患者もドキドキな瞬間なんです。そして、そんな現場を積み重ね、初めて命を救い、初めてオペを行っていきます。そしてアダムさんはやがて目前で死を扱うことに。そう、病院では当然ながら日常的に患者の死と向き合わないといけないんです。そして儀式的な死亡確認の手続きを学びます。死亡確認にも、ドラマでなされる簡易なものとは違い、きちんとした手続きがあり、その行為はいかにも儀礼的だといいます。ただし、これは関係するすべての人に間違いないことを確認し、また家族に納得してもらうための時間なんだろうと感じるとともに、この行為にアダムさんは今一度身を引き締めることとなります。
アダム、コントに出てきそうな現場での日々
現場での出来事はすさまじいものがあります。直近の傾向として帝王切開手術が一般的になっているが、それにはきちんとしたステップがあってそれを理解しない患者がい多いこと、自宅出産を望む患者も多いが、リスクを考慮していなかったりと、これらはまだ序の口。
ワードプレスの信頼もおけない記事を信じて医師の診断を信じない患者。説得に何時間もかかったと。昼間の診療時間が混みそうだからという理由で、単なる軽微な発疹を訴えるために早朝からナースコールを押す入院患者。
豊富なエピソードは尽きません。
ある日、患者としてエホバの証人の信者が訪れ、輸血をしないことのリスクをいくら説明しても受け入れてくれないことや、そのことで回収式自己血輸血をしないといけなくなったことなども。中東出身の夫が一番最初に子どもを掲げたいという話を聞いて頭を抱えることも(実際、未経験者が出産、特に帝王切開に立ち会ったら間違いなく卒倒するだろうし、悪ければ。吐くことになるかもしれないと主張。投げやりにみんな手袋しているから、素手で子供に触れるのは一番になるよとか、適当に回答しています。)ほかにも、宗教上の理由で男性が出産を担当することに難色を示したり、
アダム、過酷な労働環境に身を置く
ジュニアドクター一年目からその過酷な環境について紹介されます。そして、年次を経るごとに忙しさは減ることもないというのです。もちろん、上がりポジションとしてConsultantという役職はあるわけですが、そこにいくまでには途方もない時間がかかるのです。
手術に次ぐ手術、夜勤と日勤の境がなくなる日々、当初の勤務表は全く意味をなさず、そのほとんどがサービス残業となります。それでも患者はそんなことをお構いなしに呼び出しボタンを押すし、頭を抱えたくなるような状態で病院を訪れます。事務局からは病院の4時間以内に診察という手順に違反してしまうというクレームが手術と手術の間で入ってくるという手間も。そんな時、筆者は”この手術をしないと目の前の患者が死ぬけど、どうする”といって返すことも。そんなときでも、後に4時間待った患者がどうして発生したかのレポートは書かないといけないし、詫び状も用意しないといけない。はたして、これは誰のせいなんだと嘆く日々が続きます
また、この結果、プライベートも崩壊すると言います。友達とのディナーの約束なんてとてもできないし、理解ある友だちとようやくディナーを一緒にすることができたのは7度のリスケを経てからだそう。そうこうするうちに小中学校の同期は結婚して家庭を作り、マイホームを持っている人だっている。
まぁ、そんな人生計画はさておき、そんな日夜問わずに働いても給与を時間割すると時間貸ししている駐車場のほうが稼いでいるという。もう目も当てられない現実がそこにはありました。著者はこの仕事は医者の使命感によってのみ維持できていると主張しています。
アダム、壁にぶち当たる
そんな過酷な環境に耐えながら色んなことを解決していく筆者ですが、解決に至ったとしても人間として悩むことも多々あります。この本にはよくMoral Maze(道徳の迷路、もしくは道徳心の葛藤やジレンマみたいな・・・)という言葉で始まる記事があります。それは軽いものから重いものまで。
例えば、ハロウィンの日に残業が発生した結果、家に帰る時間が無くなってしまったけど、現状手術着を着てて、頭から足先まで血まみれだからこれで行ってしまうのは存外場違いではないのではないか、とか。(77)。
卵巣捻転をおこした患者が退院するにあたって、念のため3週間ほど運転は控えてといいつつも、彼女が入院する際に車で来院していて、また彼女のこれからの生活にも車が必要だという事実に何も言えなくなった、とか(44)。まぁ、これは友達の出来事だけど。
ある日は担当医がいない中緊急出産手術を行わなければいけないことになり、念のため担当医に断りをいれたら、”1分”もかからないところにいるから彼が到着するのを待てという。つまり、手術をするなと。もし、彼の主張通り待っていたらどうなっていたか。この時行われた緊急出産後のcord testでは血中濃度が異常であったため、この判断は間違いではなかったと著者はいっています。でも、指示に従うという判断もあったはずです。特にキャリアが浅いときだったらそうです。その時、果たして誰が責任を取るんだろう、とか。
ある日は、就業時間終わり間際に緊急の呼び出しがあったという。プライベートはずたずたでいくつもキャンセルしたうえで、久しぶりのデート。しかも高いお金を出して予約したお芝居の上演まで時間がないとしたら。しかも一番良いのは腹腔鏡下手術、その場合1時間以上がかかる。この場合、腹部切開してさっさとやる方法もあるけど、、、と色々考えを巡らせてしまう自分を責めてしまう。結局、腹腔鏡下手術のセットを頼んだという。
これはキャリアが進んでも、決して解決しないものばかり。それどころか、心の中にどんどんたまっていくものです。教科書と現実との折り合い、自分への納得感、等々。人に容易に愚痴ることもできずに、ストレスはどんどん溜まっていきます。
さらにはこれとはレベルが違うものの、NHSのマニュアルでは原則、友人は診断してはいけないとされています。それでも親しい友人のためにできないことはつらくもあり、無力感にさいなまされます。また、患者といくら親しくなったとしてもお葬式にでることはありません。どんなに親しくなったとしても厳格な線引きがあるのです。
そんな日々の積み重ねに疲弊していくアダム。
役職があがって責任が重くなる後半になるにつれ、使われる言葉はきつくなったり、そして判断に悩むこと様子が見受けられるようになります。もちろん、それが最善だったとしても、他に方法がなかったのだろうか、もっと時間を短縮できなかっただろうかと。なるべく多くの患者の対応をしようとするとコミュニケーションがおろそかになる。そうすると患者は不機嫌になる。するとさらなる説明を求められ、逆に時間をくう。もうどうにもならない状況。そしてとうとう起こってしまった出来事。。。
この様子は実際に読んでほしいと思います。とてもショッキングな出来事でした。いずれにせよアダムはコメディアンになる道を選びました。そして同時に、この厳しい病院の現場について方々で訴えることをライフワークとして行っています。
病院の過酷な環境に程度の差はあれ、厳しいことは世界共通だと思います。この本でそういうことを学べたと思います。だから、医療従事者の方々のお世話にならないようできることは最大限やっていきたいなと思った読後でした。
こんな世の中だからこそ、読んでいない方は決してそこまで難しい英語の羅列ではないので一読してみてはいかがでしょうか。ちなみに翻訳もされていました!
本の概要
- タイトル:This Is Going to Hurt: Secret Diaries of a Junior Doctor(邦題:すこし痛みますよ)
- 著者:Adam Kay
- 発行:Pan Macmillan (本紹介ページ)
- 第1刷 :September 7th 2017
- ISBN:9781509858613
- 備考:Macmillan のサイトには本書に関して行われたインタビュー記事等があります。【訳者:佐藤由樹子、羊土社、2020-03-02】
関係サイト
- アダム・ケイオフィシャルHP:https://www.adamkay.co.uk/
- twitter page:@amateuradam
HPでは本書以外の著作についても公開されていて、またアダムさんが行うスタンドアップコメディの舞台の予約等のお知らせも確認できます。とりあえず直近の行動はtwitterやインスタで知らせてくれているみたいなので、興味ある方はそちらをフォローしてみてはいかがでしょうか。イギリスの現状、そしてお芝居界隈がどうなっているのかも知ることができます。
あとアダムさんは多くのインタビューに答えているし、この本の関連動画もアップされているのでもう少し余韻に浸りたい方はぜひyoutubeで検索してみてください。著者の名前でも作品の名前でもいろんな動画がみつかるはずです。
次の一冊
アダムさんはこの本以外も医療現場に関するたくさんの本を書いています。これ以外の本で読んで関連の分野に関する知識をもてば、さらに医療に寄り添えるかもしれません。また、従事者でないにせよ、できることがあることに気づけれるんじゃないかなと思っています。
でも、まぁ、それは少しわきに置いといて最新作『Kay’s Anatomy: A Complete (and Completely Disgusting) Guide to the Human Body(ケイの解剖学:人体のコンプリート(完璧にひどい)ガイド)』もだいぶぶっ飛んでいて面白そうな本でした(UK版のアマゾンにはわかりやすいクエッショネア一覧がありましたのでよければ確認ください)。
Kay’s Anatomy: A Complete (and Completely Disgusting) Guide to the Human Body (English Edition)Kay, AdamPuffin2020-10-15
当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。気になったかたはSNSや下のコメント欄もしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。
雑な閑話休題(雑感)
少しだけ気になったことがあって、また、それにたいする自分なりの気づきもあったのでそのことについてここでは書いておきたいと思います
毎回、本紹介のページをまとめるときは自身の率直な感想をざっと書いて、内容に事実と異なることはないか、本やブックレビューのポータルサイトをみて確認しています。さらにページ作りが一段落して洋書の場合は翻訳書がすでに訳されていないかを確認します。
今回も同様の流れでページを作っていたのですが、ある時、この本を紹介している大手新聞の関連サイトを発見したので興味半分で覗いてみました。
するとその紹介記事の内容が、悲しいかな、事実と異なっていたんです。
それは、筆者がひどい患者に対してと報復ともいえるある行為を行ったら、どんなだっただろうというものです。その記事はこれを筆者が行ったことと書いています。一方で、筆者はこのことを空想したと書いています(当該ページはペーパーバック版のP214のMoral mazeです)。
筆者は患者はどんなにひどい人であろうと救うべき相手としています(裁判に訴えてきた相手には抵抗感があるといっていますが、、、)。そのため、この文章でも行ったらどうなってしまうのだろうと書かれていますし、あえて注記にこのことについて弁護士の知り合いに相談したら、間違いなく訴えられるだろうといわれたと言いつつ、その行為を否定しています。にもかかわらず、記事ではやった行為として紹介しているのです。
加えて、この本の内容について”危ない種類の笑い”が山盛りと書いているのです。・・・どうなんでしょう。これらのエピソードは危ないんでしょうか。医師として多くの理不尽を経験し、そのうえでどれも良心の呵責を訴えたり、Moral mazeと前置きしながら寂しげに語っているように見えました。もちろんコメディタッチだから、そういう雰囲気はほとんど感じさせないのですが、とても危ないエピソードとは思えませんでした。
その内容を“危ない”という言葉で片付けるのはあまりにもひどくないかな、と思いました。
・・・・
少し怒りに任せて書きなぐってしまった感じはします、、、私だって、そのコラムの人の気持ちもわからないでもないのです。その方は仕事として評判を集めている本を紹介しているのでしょうし、もしかしたら、それらを一冊一冊読めていないのかもしれないかもしれません。事実、その記事ではこの本のアマゾンレビューの話をしていましたから。そんな状態でもその記事をきっかけに読む人はいるでしょうし、それは間違いなく本にとってプラスの作用をするのだから、意味はあるに違いないのです(少しもやもやは残るけど)。
ということで、このことから得られた教訓は紹介する本を本当に大事に思っている人が絶対どこかにいるのだから、その人たちにきちんと説明できるページ作りをしようと思ったことですかね(今回の場合は私。私はもう少し丁寧に紹介してほしいと思ったので)。
記事を公開する以上、適当な記事作りはできないなと改めておもったのです。わたしもページがまとまりきらずにエイヤーしちゃうことがあるので。。。今回のことでそのことを心から反省しました。これからはそういうことがないようにやっていきたいと思います。ということで、気づきの点があったらコメントいただけると幸いです。
では、今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。また、次の記事でお会いできたら幸いです。(当該記事が気になる方は検索すればわかると思いますので、ここでは記事へのリンクを貼るのはやめときます)。
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