内容
東アフリカでコーヒーの実が発見され、その特徴的な効能が明らかになる伝説的なエピソードから、コーヒーがイスラムのスーフィズム聖職者の間で広まり、やがて大衆化、後にヨーロッパに普及していく様が、この本には子細に書かれています。
一方で、コーヒーの消費地のみならず、コーヒー生産地が東アフリカと中東の限定的な地域からヨーロッパ消費国の様々な思惑もあって各植民地へと広まっていく様についても同じくらい丁寧に描いて、そこにあった問題点についても指摘しています。
だからといって、身構えてしまうような堅いだけのコーヒー本ではなく、色んなコーヒー本で触りだけ紹介されているコーヒーの小話について詳細を知ることができます。
例えば、日本でも輸入雑貨&コーヒー豆販売名の名前でもよく知られているカルディ少年の逸話、でも、長らくコーヒーの発展に寄与したイスラム圏では異なるコーヒーノキ発見に関するエピソードがあること。
他にも、アラビア半島で定着する際の普及にはスーフィズムとどういう関りを持っていたか、そしてコーヒーがたびたび裁判になったなんていうエピソードも。これらは確かにコーヒー本で触れられることではありますが、ここまできちんと詳細に語られることは稀です。
それらの小話を披露しながら、コーヒーが市民の意識改革に貢献し、市民革命の遠因になったことについても触れ、現代の市民生活があるのも、もしかしたらコーヒーのおかげかも、なんて思わせるところも。
明るい面も暗い面もあるコーヒー、それがよく理解できるのがこの本でした。
コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書) [新書]
臼井 隆一郎中央公論社1992-10-01
内容を振り返りながら、時に感想
カルディ少年以外のコーヒー発見エピソード
By Gerardus Cremonensis – Gerardus Cremonensis “Recueil des traités de médecine” 1250-1260. Reproduction in “Inventions et découvertes au Moyen-Âge”, Samuel Sadaune, パブリック・ドメイン, Link
本書はカルディ少年がコーヒーノキを発見する逸話から始まります。多くのコーヒー本で紹介されているシーンです。ただ、他の本と少し違うのはそのエピソードをさらに深堀していること。カルディ少年のエピソードは日本や欧米では広がっているものの、イスラム圏では必ずしも広まっていないとのこと。
では、コーヒー発見のエピソードはどのように紹介されているのでしょうか。
この本で紹介されているのは、イエメン・モカでイスラム教の僧侶がコーヒーノキを発見し、医薬的な効能に注目して普及させたというエピソードです。ただし、 科学的に見れば東アフリカを原産とするコーヒーの木がイエメンの山奥で自生していたというのはありえないし、物語に登場する一部の人物名はカルディ少年のエピソードのものと酷似していて、登場人物の呼び名も似通っているとのこと。
このため、 著者はこの逸話についてコーヒーの輸出で栄えた港湾都市モカのコマーシャリズム戦略のせいではないかと考えています。他にもイスラム圏ではイスラムを起源とした逸話がいくつかあるとのこと。
いずれにせよ、イスラム圏においてコーヒーが古くから愛飲されていたのは事実です。ただ、日本ではカルディ少年の逸話が早くから浸透して、このエピソードはあまり普及しなかったのでしょう。
コーヒー普及段階の受難
その後、本書ではイスラム圏でのコーヒーの普及について触れます。当初、コーヒーは「カフワ」と呼ばれていましたが、この言葉はコーヒーの他にも、ワインやカート(チャット、興奮性の物質であるカチノンおよびカチンが含まれる植物、イスラム圏では合法であり、摂取している地域もあるが、躁鬱状態になるため問題も指摘されています)を指していたとのこと。いずれも人間に強い作用を及ぼすもので、一部の人々は問題視していたとのこと。
特にワインについてはイスラム教の解釈書の中ではタブー視していることも多く、コーヒーにとってワインとの差別化は重要なことでした。そのため、徹夜で祈祷するためにコーヒーを愛飲していたスーフィズムの高僧等が中心になってその有用性を説いたとのこと。しかし、反対する勢力もありまた、政争の具ともなり、普及するまでには裁判等を経たというもの。これはいかにコーヒーが当初から重要な飲み物だったのかを物語っている気がします。
ではなぜコーヒーはそこまで議論の対象となっていたのでしょう。カフェインが及ぼす興奮作用も去ることながら、この本ではコーヒーが飲まれる場所が権威側にとっては問題だったとしています。後にオーストリアやフランス、果てはロンドン等にも波及することとなる「コーヒーの家」が原因とのこと。
上述のようにスーフィズムの後ろ盾を得たコーヒーは神聖なものとなりました。そして、その神聖なコーヒーを媒介に社交の場もできるのは自然なこと。一部では男女の交流の場にもなっていたといいます。そういう場では様々な会話が交わされたことでしょう。何せアルコールと違い、いつの間にか酔って眠ることはないのだから。
しかし、コーヒーが宗教的な後ろ盾を得ると、それに擦り寄ってくる輩も出てくるのが人間社会です。当時も今も戒律を破ろうとする人はいるもので、イスラム教社会で禁忌とされていた酒を提供する場所を営むものもいましたいた。そういうお店は大っぴらには営業できなかったのですが、高僧も飲むとか、ザムザムの聖水(メッカにある井戸の水)と同様の効用があるなどされていてコーヒーを前面に出して営業すれば問題ないのでは、として「コーヒーの家」に鞍替えする人たちも出てきたのでした。そんな「コーヒーの家」は健全なわけもなく、様々なやり取りがおこなわれたとのこと。そのため権威側にとっては頭の痛い存在ともなったようです。この交流の場としての役割はその後、イギリスやフランスへと伝播してやがて市民の発起の場へとなっていくのは有名ですよね。
多くのプレイヤーの登場とコーヒー普及期
コーヒーの家が広がった16世紀ごろはイスラム圏が政治的、文化的に隆盛を向かえた時期でした。そんな先進国で愛飲されている飲み物が他の地域で流行しないわけがありません。
当時ヨーロッパ、アフリカ、イスラム圏の中継港湾都市として栄えていたエジプトの商人がまずはこのコーヒーの木に注目して貿易に参入しようとします。なぜなら、イスラム圏で儲かった商材が他の地域で儲からないわけがないから。
ただし、コーヒー生産地のイエメンからエジプト・カイロまでの道のりは険しいものでした。間にある紅海は時化も多く難所でした。一方、陸路で運ぼうとすると輸送量は限られる上に盗賊などもでる物騒な地だったのです。そのために 羅針盤や海図、気象学等の海洋技術等を吸収し、コーヒー貿易を整備していきました。
そうしてこれらを買い付けていたのがイタリア等を拠点としてたレヴァント商人です。彼らは東方から運ばれる香辛料等を買い付け、ヨーロッパで販売していましたが、コーヒーについても同様に普及の役割を担いました。
同時期、オランダ商人達もコーヒー貿易に参入していきます。当初、彼らはイエメン・モカで仕入れたものを主にインドやインドネシアで捌いたとのこと。彼らはそこで生産までに進出して一手に利益を拡大しようとします。まず、セイロンで生産を開始しますが、やがてインドネシア・ジャワに拠点を移し、プランテーション栽培を本格化・軌道に乗せ、莫大な利益を稼ぎ出すこととなります。ここに近代資本主義システムが幕を開けたとエンゲルスの言葉引用しつつ、著者は指摘しています。
ちなみにイエメン・モカの名前がコーヒー栽培ではとても有名です。では、このころ他のイスラム圏の港湾都市ではコーヒーを扱っていなかったかというと、そうではありません。他のイエメンの港湾都市アルホジダやアッルハイヤーフも負けず劣らない量のコーヒー豆を取り扱っていたのですが、オランダ船は寄港を許されず、そのためにコーヒー豆はイエメン・モカのものだと普及していったとされます。
二つの革命を支えたコーヒー
レヴァント商人とオランダ商人は交易品目として少しずつコーヒーをヨーロッパへ供給することになります。
その結果、いくつかの場所でほぼ同時期にコーヒーハウスもしくはカフェが誕生します。中東で流行していた魅惑の飲み物として紹介されたコーヒー。飲んでもアルコールのように酔うこともなく、むしろ頭がさえるという。それは多くの人をひきつけました。
そして多くの人をひきつけるようになったコーヒーを提供するコーヒーハウスは社交の場としても機能します。
イギリス・ロンドンのコーヒーハウスでは信頼できる郵便制度がないとして、コーヒーハウス間で郵便をやり取りするようになります。また、特定のコーヒーハウスが船乗りのたまり場となり、情報が集ってくるとそれをペーパー化して、やがて海上保険の起源となます。また、そういうビジネスに出資する人を集めるカフェも登場し、それが証券取引所となったりと。人と人とが化学反応を起こして多くの企業が誕生しました。
また、王政に対する不満もこの場で語られ、市民の蜂起ともなりました。
フランスでは商業というより文化面での貢献が注目されます。コーヒーを提供するカフェは文化人とパトロンを結びつける場として栄えたといいます。カフェでは自遊闊達な哲学的思想の議論が行われ、また多くの芸術作品が生み出されました。
もちろんカフェは政治を語る場でもあったため、政治思想は鍛えられ絶対王政に対する疑問が生まれるとイギリス同様に市民蜂起の場となりました。
ちなみにこのシーンは3章に詳しく書かれているのですが、その描写がとてもリアルにもかかわらず、どこか劇的で非常に面白かったです。それはまるでレ・ミゼラブルの幕間の出来事のようなのでぜひ呼んでみてください。
では、ここまで栄えたコーヒーハウスがイギリスで見られなくなったのはなぜでしょう。一つにはコーヒーハウスが乱立して質が保てなくなったといわれています。また、当時コーヒーハウスが婦人の立ち入りを禁止した場所が多く、婦人の反対運動を招いたり、次に女性の間に流行することとなったティーサロンに立場を奪われたとも言われているとのこと。
欧州諸国によるコーヒープランテーション
ヨーロッパの歴史的な飛躍に貢献したコーヒーの礎にプランテーションがあることを忘れてはいけないと著者は指摘します。
オランダ・東インド会社のジャワのプランテーションが成功していることはヨーロッパに知れ渡り、他の国も同様のことをしようとします。ただ、現地での環境は深刻でした。
本来ジャワでは豊かな稲作を中心とした現地の人が豊かに暮らせる作物が展開されていたにもかかわらず、それらを排除してコーヒープランテーションを展開するわけです。しかも土地は収用され、小作として従事することになり、富の配分は非常に限定的となりました。実際ヨーロッパで言われたコーヒーの利回りは20-37%ともいわれており、それは富の搾取することから成立している利益だったといます。
その状況は長く続き、今の体制にも影を及ぼしています。アジアや中南米の国々の多くのコーヒー農家は国際市況の乱高下に左右される生活を送っています。
定期的に壊滅的なコーヒー農家の惨状の記事を見ることになるのはこのことが原因の一つとしてあげられています。
本書は直近のコーヒー流通の問題点を指摘するというよりはコーヒーの現代に至るまでの大きな潮流をまとめたものでした。
ここに書かれていること以降については自身で色々探ってみるのもいいのではないかなと、著者が一石を投じているのかもしれない、そんなふうな余韻を残して本書は終わりました。
私は上で本書の大まかな振り返りをしました。特に後半はスキップに次ぐスキップなので興味ある方はぜひ本書を手にとってみてください。
ナポレオンとコーヒーや、ドイツでなぜチコリコーヒーが生まれたのか、そしてドイツのコーヒープランテーションがどんなものだったのか、など興味深いエピソードもたくさん盛り込まれていましたので。
そして大きな意味でいろんなことを考えながら、今日のいっぱいを飲んでほしいなと思います。願わくはコーヒーにかかわるすべての人が幸せあるようにと。
本について
本の概要
- タイトル:コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液
- 著者:臼井 隆一郎
- 発行:中央公論新社
- 本文印刷:三晃印刷
- カバー印刷:大熊整美堂
- 製本:小泉製本
- 第1刷 :1992年10月15日(2017年9月5日21版)
- ISBN4-12-11095-7 C1220
- 備考:
関係サイト
- 著者Offical site: –
- 著者twitter page:@tontonisamu
著者のtwitter ページはあるのですが、活用はしていないようです。『アウシュヴィッツのコーヒー』の紹介で使ったのが最後のtweetとなっています。
次の一冊
本書の帯や巻末には穀物や特産物の歴史を取り扱った中公新書が紹介されています。そのチョイスが絶妙で茶やじゃがいも、そして究極的な嗜好品チョコレートなどがあります。興味のある作物について一度歴史を掘ってみてはいかがでしょうか。
茶の世界史 改版 – 緑茶の文化と紅茶の世界 (中公新書) [新書]
角山 栄, 中央公論新社, 2017-11-18
当サイト【Book and Cafe】では次の一冊に関する短い紹介文を募集しています。お返しは今のところ何もできませんが、ここにSNSアカウント等を記載した半署名記事をイメージしています。要は人の手によるアマゾンリコメンド機能みたいなものです。気になったかたはSNSや下のコメントもしくはお問い合わせ にご連絡頂けますと幸いです。
雑な閑話休題(雑感)
普段自分が好んで食べているものや飲み物について知ると味わい深いものになりますよね。今回はコーヒーに関係する本でしたが、食事やお菓子もそうだったりします。私はその分野では素人なのでプロの腕にはかないません。しかし、彼等・彼女等がどういう思いでその商品を届けているのかの一端でもシェアさせてもらえるとうれしいなと思いながら、こういう本を手に取ったりします。
また、今回のように生産国における歴史を知ると非常に壮大でいとおしく感じられるようになるのではないでしょうか。少なくとも私にとってはそうなんです。
なので、そんなことを心掛けながらこれからもこのブログを少しずつ更新していきたいと思っています。