【本紹介・感想】西洋の日本人論に一石を投じた茶の精神とは?『The Book of Tea(茶の本)(BLEILER版)』

The Book of tea装丁

提起される問題と茶の歴史

東洋人をみる西洋人の視線を突き付ける
Photo by Arseniy Kapran on Unsplash

一章の冒頭では薬として摂取されていた茶がやがて飲料となり、後に中国で文化的に洗練され、15世紀には日本に伝播すると審美的な宗教というほどに高まり、茶道に至ったことを簡単に説明。歴史に関する詳しい説明は2章になりますが、茶が審美的宗教のみならず、倫理、宗教、衛生観念や経済的な価値観まで幅広く影響したことについても解説しています。

一方で、西洋人が東洋における茶の文化をみるとき、必ずしもきちんと理解せずに、しょせん東洋人が嗜むお茶ではないかと見下す風潮に苦言を呈しています。そもそも西洋は日本が鎖国していたころろは変わり者と蔑み、昨今戦争に勝つようになって日本人の国民気質に興味を持ち、再評価しているようだと指摘。しかし、文明国というものが戦争に勝利し続けることでしかなれないなら、文明国と呼ばれることを日本人は放棄するだろうと西洋人の姿勢を痛烈に批判します。

その上で、確かに以前の東洋人は西洋人のことを無理解なうえに恐れていたが、それは過去のことで今は様々なことを表層上でかもしれないが学び、吸収していると。だからこそ、西洋人も謙虚な気持ちで東洋人の精神に触れてみてはどうだろうか。きっといくつかの分野では学ぶことがあろうと述べています。その際に懸け橋となるのは東西問わず受け入れられている茶ではなかろうかと本書を始めています。

お茶の文化的・歴史的な背景

岡倉は、お茶が形態によって3つに分けられるといいます。すなわち、煎茶(せんちゃ)、抹茶(ひきちゃ)、掩茶(だしちゃ)であり、各々唐代の煮る団茶、宋代のかき回す粉茶、明代の淹(だ)す葉茶を指します。そして岡倉は、これらを芸術分野でいうなら、古典、ローマン、自然主義にあてはまるだろうと言っています。ちなみに私たち(日本も西洋も)は最後のお茶文化を基本的に受け継いでいるとのこと。

そもそもお茶は中国南部から広まったもので、まず注目されたのは薬学的な効能でした。曰く、疲労回復、精神安定から始まり、リューマチ等にも効果があったとされていたとのこと。やがて僧侶たちが修行で長時間瞑想するにあたっての睡眠予防効果に注目が集まるようになります。4,5世紀ころには揚子江流域の住民に親しまれるようになり、この頃にようやくお茶の呼称が定着するようになりました。この頃のお茶は茶の葉を蒸して臼(うす)で、団子上にしたうえで米、しょうが、塩、橘皮、香料、牛乳等、時には葱ねぎとともに煮て飲んだもので、現在私たちが飲んでいるお茶とは異なります。この習慣はモンゴル人の間で残っており、岡倉曰く、ロシアでレモンの切れはしをいれて飲む方法が始まったのはこの頃に中国の商隊と出会ったからだろうと記しています(なお、この本はあくまでお茶が東洋においてどのような精神的影響を与えたかを主眼にしている本なので歴史について知りたい人は別の本を参考にしたほうが良いと思われます。ちなみに以前このサイトで紹介した『お茶の科学』でもお茶の普及の歴史について触れていますのでご覧になってみてください)。

岡倉はこの飲み方を粗野だと表現し、これらの飲み方がより洗練されたのは唐代のころといいます。唐代に入ると様々な思想が混在する中で、汎神論的思想もひろまり、様々なものに対してその深淵を伺おうとする傾向が出てきました。そんな最中、詩人でもある陸羽が『茶経』を書き上げ、茶とはどうあるべきかについてまとめました。彼は茶の湯に蛮勇を支配しているものと同じ調和を求め、体系立てたのです。また、本の中ではあらゆる作法を書き、その中で塩以外の不純物を茶に混ぜるのは避けるべきとし、飲み方も粉茶を用いる方法を紹介しました。このことによって彼は皇帝からの支援を受け、お茶文化はいよいよ趨勢を誇るようになりました。陸羽は後年茶の祖として尊敬を集めるようになります。

宋代に入ると、茶の葉を小さな臼で挽ひいて細くしたものを湯に入れて小箒まぜる方法が普及しました。これによって茶に塩を混ぜる文化は衰退したそう。また、宋代には道教的な思想がお茶に影響を及ぼすようになっていました。彼らはお茶を単なる飲み物でも趣味でもなく、自身を理解する手段となりました。そして禅宗においてこの考え方が浸透・発展し、茶を飲む際の儀礼も整えられます。それは皆が一堂に集まって一個の椀から飲むというもので、日本へも伝わったものです。残念ながら、中国では宋王朝以後、たびたび漢民族以外が中国を支配したこともあって文化的な分断がしばしば発生しました。その結果、唐宋時代にみられた理想は現代の中国には引き継がれなかったと岡倉は主張しています。なお、ヨーロッパにおいて古い喫茶方法が知られていないのは輸入したタイミングのせいだとしています。

さて、いよいよ日本への伝播についてです。お茶は8世紀前半に中国から日本へ遣唐使によってもたらされました。その記録は当時の文献にも書かれていて、天皇に献上しているところもしっかり記録されているとのこと。その後、801年になると国内で栽培もされ、12世紀に南宋の茶の作法も導入されたと説明しています。15世紀には足利将軍義政が奨励、茶の湯が確立。一方で、中国の煎茶は17世紀中頃に日本に持ち込まれ、比較的新しいものだったものの簡便的な飲み方ゆえに広く普及したとのこと。

茶道への道教と禅の影響

3章で岡倉は道教と禅の茶への影響について語りますが、前段でまず西洋人がこれらの違いに理解できておらず、これらに関した正しく書かれた書物も少ないことを指摘し、あおります(笑)。他にも儒教と道教の発生の場所を長々と指摘して、ほら、ちがうでしょ、みたいなことも書いているあたり、ブライラーの指摘している通り、なかなかの性格です。

少し話がそれたので本筋に戻ります。

まず、道教思想が易経に端を発していることを紹介しつつ、中国で主流となっていた儒教とは異なる思想として発展したことに触れています。道教は既存の法律について批判的でした。そもそも道教において善悪は相対的なもので絶対的ではないというのが彼らの考えです。つまり、時代によって社会規範は変わり、善悪も移ろっていくものであるのにもかかわらず、法律で人を律しようとするのは間違っていると。もし、現状の社会規範を不変のものとするなら、それは成長を止めるようなものだと指摘しています。そして、善なるものを教育したり、自身のうちに育み、他人に押し付けることの愚かしさについて嘆いていました。

また、道教は「現在」を大事にしています。神や自然と接してるのは現在をいきる我々であって、昨日でも明日でもない。そのため、道教では現在の中にも美を求めるという特徴があります。また、その特徴ゆえに中国では「処世術」とも呼ばれるそう。

道教の祖とされる老子は物事の本質は「虚」にあると指摘したことを紹介します。例えば部屋の本質というのは屋根と壁に囲まれた「空虚」なところにあるのであって、部屋を構成する屋根や壁にはないと。それと同様に水差しの役立つところは水を注ぎこむ空間にあるのであって、形や何でできているかによらない。これは一般論にも通じ、己を「虚」にして様々なものが入ってこられるようにすれば、場を掌握できるようになるであろうと。この考え方は日本でもいたるところに影響を及ぼしていると。剣道や相撲、柔術では、「虚」となって相手の力を利用して自身の力は最後の圧し合いで使うのみ、というように。芸術についてもまったく同様で、「虚」になった状態で鑑賞すればその神髄に触れられるし、大傑作は「虚」となって、相手がはいってきてその作品を堪能することを求めるという。

他方、禅の思想の中には、禅を通して静慮(心を落ち着かせる)することが求められます。これは当時主流だった仏教で行われる修業とは異なる部分がありました。それはちょうど道教が主流だった儒教に相反したところと通じるのかもしれません。そして、禅宗のその他の教義を見ても大元のインドのそれとは異なり、道教の影響を受けているだろうと指摘しています。例えば、禅宗では道教と同様に個を大事にし、また相対を重要視しました。また、内面的な精神を重視し、外面的な付属物は真理に到達する際には邪魔になるとまで言っています。これは道教の「虚」の考え方と通じるところあるところです。そして、宗教的には珍しいことですが、現世についても後生と同様に重要だと説いたとことも似ています。宗教の多くは来世や死後の安定を求めるために徳をつむことが求められますが、禅は現世についても重要視し、元来持っている仏心を清く育てることこそ重要としているのです。そして、相対性の観点から大も小も関係なく、原子の中にも宇宙と同様の可能性ががあるとしています。そのため、どんな小さな行為でも完璧に行わないといけないという考え方があります。これは茶道の所作に対する考え方にも通じるものです。

道教は審美的理想の基礎を、禅はそれらを応用してより実践的なものにしたと指摘しています。

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