『ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス』の熱にあてられた状態で、映画感想を綴ってみる

映画の内容を振り返る

大いにネタバレもあるのでご注意を。未鑑賞の方は、最初の数パラだけで次のページへ移動していただければ嬉しいです(偉そうにごめんなさい)。。

NYマンハッタン島の中央に位置するニューヨーク公共図書館。周りには日本の紀伊国屋書店やブックオフ、そしてバーンズ&ノーブルもあります。

NYPLの多様な日常

 NYPLの荘厳なボザール建築の全景が映されたかと思うと、とある日の“Books at noon(午後の本)”の会話へと映像が映しだされる。”Books at noon”は誰もが立ち寄れる図書館の出入口で催される、専門家とモデレーターが本を題材に広範なトークを繰り広げる企画だ(リンク)。

 この日のスピーカーは「利己的な遺伝子」で知られる進化生物及び動物行動学者のリチャード・ドーキンズ博士。入口付近で行われる博士とモデレーターの会話に、多くの人が足を止め、耳を傾ける。マイクで行われる二人の会話はエントランス館内に響き、人々の声も少しだけ静かになる。そこには誰もが博士の話を聞ける環境があった。

映し出される映像は刻々と変わってく。

人間googleと呼ばれる職員達が、NYPLの施設や書籍の質問について電話やカウンターで答えるシーンが映ったかと思うと、利用者がNYPLのパソコンでインターネットを使って自身の病気のことや訴訟のことを調べているシーンが映し出される。驚くことに利用者の中にはゲームを興じている人も中にはいる。NYPLはパソコンの使途を制限してはいないようだ。

その後、専門図書館の映像が流れる。

黒人文化研究図書館では、かつてヨーロッパ人に強制的にアメリカに連れてこられたアフリカ人に関する歴史研究に資する文献が収められている。そして利用者はルーツや様々なヒントを探そうと訪れる。そのほかにも現在は展示や講演会、そして寄付関連のパーティーなどもこの地で行われているようになっている。

黒人の正しい歴史を認識してもらうための活動はこの館だけの取り組みではなく、全館通して行われている。ある日の本館で行われたセミナーでは、ルドルフ・ウェアが、一部のイスラム聖職者たちが奴隷制度を認めていたといわれているが、これは19世紀・20世紀にできた間違った認識で、奴隷解放について西洋の努力に基づくものだという狙いによるものと聴衆に向けて語りかけていた。さらにムスリム、もしくはコーランに奴隷制を認めるものはないとも。

そして、舞台芸術図書館を中心に、様々な芸術振興に関する催し物が行われている様子も。舞台手話に関するセミナーでは、舞台は常に万人に開かれたものであるということを訴えていた。講演はすすみ、スピーカーが、参加者にトマス・ジェファーソンの独立宣言を、怒ったバージョンと懇願するように訴えるバージョンとで読むように呼び掛ける。そして、彼女がそれを手話通訳する。すると全く違う内容に見える。彼女は俳優ではないが、話の骨格を学び、演技を学び、ステージを知り、セリフをすべて理解する。そのうえで訳をしている。なぜなら、舞台の感動は平等にあるべきと考えるから。

大小様々な催し物が行われ、いずれも入りやすい雰囲気がある。小規模なピアノやバイオリンのリサイタルでは体を動かしたり、音楽をハミングする人も。中には目をつぶって起きているかわからないような人も。講演会の雰囲気も自由。耳を熱心に傾ける人がいるかと思うと、編み物を最前列でしている人も。廊下から熱い視線を送る人までいた。

いずれもNYPLの職員がNYPLの役割や存在意義を考えながら練った企画。それは図書館が体現する、民主主義を反映したものだったり、真実の追求だったり、マイノリティの支援だったりと、各職員によって少しずつ内容は異なるよう。

現地ニーズをくみ取ったNYPLの活動

とある日のブロンクスセンター(分館)では就職活動フェアが行われていた。消防署、女性活動支援、起業家サポート、国境警備隊、軍隊等々、図書館から人がきて就職案内をしている。また、図書館でそれらの食で必要となるスキルに対するサポートプログラムが沢山あることを行っていることを職員は説明していた。

映像では、その後、個別ブースでの会話が流れる。派手な柄のシャツをきた担当者は参加者に向けて熱心に話しかける。彼が解説をしているのは、これから受講生が得る職について。

過去は別にいい、もしキャリアがあればいいし、大卒があれば有利かもしれない。でも本当に重要なのはその職があなたにフィットするかだ。そして、その職業インタビュー(面接)で必要なのは、態度と言動が一致していること。受験生は熱意があるといいながら興味のなさげな表情をする、コミュニケーションが得意だと主張しているのに楽しくなさそうに質問に答える。それではだめだ。

その男性はなぜか印象に残るような映し方がされていた。

映像は、中国人街に近い分館 へと変わる。館内にはグリーンカードの関連書籍やアメリカの基礎知識に関する本が多数並ぶ。そして、映し出される語学教室の映像。NYPLは移民にとっても強い味方なよう。

さらに図書館では点字の読み方とタイプの仕方も教えている。優しく諭すように教える様は独特な雰囲気を醸し出していた。また、ハンディキャップを抱えている人々のための制度的支援に関する知識を共有する互助会のようなものがあることも映像に流れる。

 本館と分館、そして付随する研究図書館や専門図書館を行ったり来たりする本映画。それぞれが地域に溶け込み、それぞれのニーズに答えている。似たようなシーンが続いているが、その実、一つとして同じものはなく、すべてが違う役割を映し出している。だからこそ、今回の映画はこれほどに長いものとなっている。

舞台裏で奮闘する職員たちの存在

NYPLのあるべき姿について幹部役員、職員と話す館長

カメラは長く続く廊下と椅子に座ったり、立ったりしてせわしなく動くガードマンをとらえる。幹部会のシーンはいつもこの廊下から始まる。

館長は職員とコミュニケーションを行い、意見の集約をはかる。映像でも昨年実績や前回のボードミーティングでのコミットメント内容について再度シェアしていた。

曰く、”予算は限られているため、最大限をしないといけない。教育には力をいれないといけない。もしそれ以上に活動したいなら、更なる資金調達をしないといけない。”、と。資金調達はNYPLにとって常に避けられない課題。それをどうやって持続可能にするか、この日も熱心に議論が重ねられていた。

PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ(官民連携))の重要性も話し合われていた。以前、ブルームバーグ市長の時に公的資金(パブリック)援助が減った時、民間資金(プライベート)が支え、それを呼び水にした、今度は逆を行える。もっと力を入れるべきだと。

ただ、NYPLの政権との距離感は独特。敵対するものではなく、理解を促すために、住民にも、行政にも、政治家にもコミットしてもらわないといけないと話していた。

現市長が、小学校のあとの教育にコミットしているなら、何がNYPLとしてできるのか?

ニューヨーク市がIT弱者に対してホットスポットを提供するなら、NYPLは何を提供すべきか?知識のアップデートに物理wi-fiの提供、何が一番良いのか。

政治家への訴えは常に行動と言動が一致すべきだと館長は主張する。それはいつか開かれた就職活動でブースにいた男性が主張していたものと一致していた。

弱者が何かを定義し、自分たちが何をすべきかを考える。何のテーマでも同じ。NYPLは常にもがく弱者の味方であり続けようとしていた。ただし、難問もある。例えばホームレス。彼らに寄り添いたくても、世間の味方は厳しい。幹部会でも答えはでなかった。それでもできる限りのことをしようと議論は続けられる。

そして、現場でも討論は行われる。算数の教室へどうやったら人を呼び込めるか。もっと現場へ行くべきではないか、さらに少し実績が上がれば、蔵書が足りているか、その手法以外に何かないか。彼らは常にどん欲だった。

一方で粛々と行われている現場も。資料のデジタル化や録音本図書館での職員の読み上げ録音などの現場は本当にプロフェッショナルの現場だった。彼の読み上げは今も耳に残る。

いずれも図書館利用者は普段見ることができない風景なため、映像はどれも新鮮に映る。

情報の透明化と知識のシェア

NYPLは職員、資金寄付者、利用者、すべてに情報をシェアしたがっているし、届けたがっている。

とある日のミーティングでは幹部が何を考えているかについて職員と話をしていたし、分館を訪れて職員が何を企図しているか聞き、本館の統計情報でもその状況について認識していることをフィードバックしていた。

また違う日のミーティングでは活動実績のシェアと来季の活動に関する意見を求めるもの。活発なプレゼンが行われ、とても良い雰囲気の現場の風景がそこには映されていた。

一方、資金提供者向けパーティーでは前年度の活動実績と寄付への謝意がスピーチされ、それをタキシードを着た参加者が満足そうに耳を傾けていた。

さらに、黒人文化研究センターでは所長自らが利用者の実体験について耳を傾け、そこから明日のNYPLに役立てられないかと耳を傾けていた。このNYPLでは職責にかかわらず、みんなが前向きによりよい図書館サービスを提供しようと努力しているのだなと認識できるものだった。

最後にアーティストであるエドムンド・デ・ワールとモデレーターがNYPLで聴衆に向けて話すいつものセミナーシーンで終わる。それは本館でも分館でも、この光景が繰り返されていくんだな、と何となく余韻を感じさせるものだった。

エンディングにかかる曲。予告でも本編でも効果的に使われていました。
途中、Theme of Stingも使われていてすごいアメリカ的だなと思った瞬間も(笑)。

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