内容
人類が安全な水分摂取の方法として頼ってきた酒。いや、人類だけでなく、猿だって酒を摂取しているシーンが目撃されているという。ただ、多くの猿は人類より賢いらしく、一度泥酔して二日酔いを経験すると、より良い水分摂取方法を探すらしいけど。
歴史上の英雄や奸雄も酒に関する伝説的な逸話が付きまとう。戦争で自身と仲間を鼓舞したり、敵との交渉の場で相手を篭絡するために用いたり、政権末期には身を亡ぼしたり、と酒に関するエピソードはその種類が尽きない。
この本では、それら英雄達のエピソードを紹介しながらも、主にその時代時代で多くの人々にとって酒や宴会がどういうものだったのか。そして、なぜ、人々は酒で酔っぱらうことを必要としたかについて書き記している。
それに際して、著者は『酔っぱらう』とは何なのか、本当にアルコールは人の自制心を弱め本性をさらけ出すのか、について改めて問う。そして、人々が、酒のアルコール濃度だけでなく、酒の起源や文化的連想によって『酔っぱらう』という行為が変わっていることについて指摘する。
それは時代ごとに、場所ごとに、『酔っぱらう』ことについて現在とは異なる解釈がなされていたという。あるときは、祝福であり、儀式であり、決断であり、人を殴る口実であり、他にも幾千もの理由の際に使われたと。
そして、これらの情景は必ずしも歴史書が扱ってこなかったため、今回はそのシーンをきちんと思い浮かべられるような本にしたかったと。そんな意欲を、著者独特のたっぷりのユーモアで包んだのが本書。
マーク・フォーサイズ、青土社、2018-12-20
本書を振り返りながら(ネタばれ注意)
サルはアルコールを求めて森から草原へ進出した?
最初の章では、まさか動物と酔っぱらうと言うことについて。ミバエやパナマのマントホエザルが、自然発酵によって出来上がる果実酒を摂取していることについて紹介されています。
そして、人間が動物や昆虫に対して行う様々な実験について。いずれのケースでも、悲しいかな、社会集団での弱者だったり、何かに敗れたときに酒の摂取量は増える実験結果があるといいます。ただし、彼らが困難な現実から目を背けているか、どうかについては当然のことながら推測の域をでません。なぜなら、彼らとは会話をすることができないから。
これらの実験の紹介と並行して、著者は本書の特徴であるきちんとした科学的な説明を試みます。例えば、ジンを飲むとお腹が刺激され、食欲が出るといいますが、正確にはニューロン(AgRPニューロン)を刺激している、と指摘してみたりと。
著者は歴史学者ではなく、科学のスペシャリストでもありません。それでも、彼は自身を信頼のおける作家、校正家、衒学者(げんがくしゃ)としてあり続けるために、可能な限り信用のおける書物にあたり、依拠するに値する説を集め、この本を作り上げました。もちろん、いくつかの章は想像の賜物かもしれませんが、それについてもきちんと触れているので読者は安心して彼の仮説を楽しむことができます。
さて、話を本書へと戻します。本書では、さらに人類の進化とアルコールについて語られます。著者はひどく間違っている可能性ついて触れながらも、発酵酒が多くの栄養素を含み、人類の祖先の発展に寄与したこと。そして人類はそれらの発酵酒ををさらに望み、森の外へ進出、また集団で飲酒することによって、外敵から身を守ったと仮説を立てている。見事なところは、その習慣が今に至るまで残っていることだと思います。もちろん、これが間違っていることも否定できないわけですが。。
もう一つ本書の特徴。筆者は科学的な言い分や、大上段で何かを主張するときは、少し茶化した風なスタイルになります。最初は真面目に論を展開しますが、語尾で腰砕けになって笑いをとっていたりと。
ただ、この跡に続くどのエピソードも面白く、こねたとして使えたり、それ以上にアルコールをたしなむ、もしくは酔っ払う状態とはなんだろうと改めて科学的かつ論理的に考えるきっかけをくれている気がします。
都市を築いた人間たちとビール
By Painter of the burial chamber of Sennedjem – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, Link
一般的には狩猟から農耕に移行した結果、人類は定住することを選択したといわれていますが、著者は上の理論に沿って、人類のさらなるカロリーと栄養素に対する渇望が、発酵酒(ビール)の原料となる麦を再生産することを選び、そのために定住したとしています。
これが事実だったかはさておき(著者もそういっていますしね)、本では紀元前1万年くらいのトルコにあるギョグクリ・テペ遺跡からはビールを作っていたと思しき発酵桶のようなものが見つかっていることを紹介し、定住とともにビール作りにも励んだのが事実ということに触れます。
時代は下り、麦作りに励み、効率を求めた人間たちは、遂に都市を形成します。物の交換を繰り返す都市ではそれが故にトラブルが発生し、それを取り締まるための組織を必要とします。結果、王政とそれに付随する官僚組織が誕生、その維持のために税収を必要とするようになったと。その徴税行為を記録するために文字が誕生し、そこには麦、金と並んでビールの記録もありました。これは紀元前3200年前ごろのことだそう。
そして、この頃のビールはどこにいけばある、というよりは、どこにでも当然のようにあったとのこと。まさに水のような扱いでした。一応、酒場もあったらしく、そこではつぼにビールが注がれ、複数人でストローを吸いながら飲んだとされています(この壺には多くの不純物が入っていて、それを取り除くためのストロー)。ただ、同時に王族にはふさわしくない、とか、謀略者が集ったとか、今も昔もなかなかに酒場は治安が悪いようです。
古代エジプトはビールまみれ
舞台はお隣の古代エジプトへ。こちらでは古代神話。ラーが地上に使わした女神ハトホル。彼女は命令に従って、地上を破壊つくそうと邁進しました。しかしながら、その惨憺たる様子をみて、あまりに気の毒に思ったラーは地上に700樽のビールをぶちまけ、ハトホルはそれを人間の血だと思い、啜り、眠りについたため、人類は今なお生き残っているという。酒に関するなかなかな神話が紹介されます。
しかしながら、現実世界でエジプトの民衆の飲酒した様子がわかる文献はなかなか見つかってないそう。紀元前3150年ごろに亡くなったファラオ・スコルピオン1世が輸入ワインのつぼ300個とともに埋葬されていることから、そのころにはワインが王族の間では飲まれていることが確認できるくらい。
今なお残る詩によれば、当時のエジプトでは、酒はセックスと結びついていたらしく、1年 (もしくは2年に) に1度のお祭りの日には、嘔吐するほどに酒を飲み、そのまま誰とも知らない男女が交わったという。今から考えると、狂気の沙汰としか思えませんが、当時はそんなことはなく、そこでできた子供は最も優遇されたそう。注目すべきは泥酔した翌日の朝、参加者はみな強制的に起こされ、酩酊した状態、霊的覚醒を体験したという。世俗的でありながら、神秘的なお祭りに使われた酒。宗教的な交信を行う際に酒を使うことは東西を問わず、あったみたいです。
ワインを嗜んだギリシア人
By Anselm Feuerbach – Google Art Project, Public Domain, Link
ギリシア文明になるとワインを節度を持って飲むという概念が生まれます。特にギリシア人がワイン片手にもって参加したシュンポシオン(シンポジウムの語源)では規律を保ちつつ、自身の意見を述べることが求められた。また、主催者が音頭をとり、どのようなペースで酔うかを決めたという。
一番有名なシュンポシオンはプラトンが参加した『饗宴』。しかしながら、この時は本来の形式とは違ったそう。参加者の合意に基づいて、好きなペースで飲むことになっていたから。だからこそ、プラトンはこれを書き残したとも。
いずれにせよ、酒の摂取には節度や規律が導入されたわけですが、酒が進むごとにこれは守られなくなり、場合によっては酔っぱらいがでたり、場があれたんでしょう。だからこそ、酔う事のなかったソクラテスは偉人として称えられました。そして、著者によれば、酔わないことで讃えられる最初の人物が彼らしい。
一方で、ギリシャ人は、最初から規律なくビールを浴びるほど飲んだ周辺民族を侮蔑していたとのこと。最初からか、終いにはの差にしか感じられないような気がするのは私だけでしょうか。まぁ、いずれにせよ、ここで紹介される飲酒は現代のそれとあまり変わらないような気がします。特にプラトンが書き記した『饗宴』は語られる内容の差こそあれ、私たちが経験する会社の飲み会と似たようなものがある気がします(建前、無礼講のもの)。
その後、ローマ時代になるとギリシア文化は洗練したものとしつつも、堕落の象徴とみられました。ローマ人はワインをブドウ畑で採れる勤労の証と考え、ギリシアのそれとは区別します。そして何より建国当初は水を沢山飲んでしらふでいたと。
しかし、ローマ帝国の絶頂と共にこの慎ましやかな文化は消え去り、誰もがワインを好むようになりました。たとえ貧民であろうともパトロンをみつけ、媚びへつらえば、一番質の悪いワインにはありつけたという。身分の高いものはワインの年代を気にするようになり、希少性あるワインを買いあさるようになりました。そして、深夜まで飲み会(コンウィウィウム)は続き、参加者は千鳥足で家路に着いたそう。その先に待ち構えるのは誰もが知っているとおり、ローマの衰退です。